「CUT」

去年末に公開され、巷でも評判の良い「CUT」という映画を観ましたよ。今回はこの作品の感想です。


【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

売れない映画監督・秀二(西島秀俊)の作品が映画館で上映されることはなかったが、彼は映画への情熱を持ち続けていた。そんな折、兄が借金のトラブルで亡くなったことを知った秀二は、彼の映画資金調達のため兄がやくざの世界で借金していたことを知る。兄の死に対する自責の念から、秀二は殴られ屋をすることで借金を返済しようとするが……。

【予告編】

以下、感想でございます。





残念だけど今年観た映画の中ではワーストですた。と、言ってもまだ2本目の映画だけど。映画観ながらノってくるとある程度「魔法」みたいなもんがかかる気がするんですよね。映画の中に入り込んだ感じというか、細部が気にならなくなるというか。今回はそんな「魔法」みたいなもんに一切かからなかったのが敗因ですわい。


とりあえず良かったところから。主人公を演じる西島秀俊の鬼気迫る演技は、当然ですけど素晴らしいですよ!良い感じで狂ってましたねえ。顔が台詞の行間を埋めるようで黙ってる姿も画になる。脇を固める役者陣も光ってました。主役が完全に暴走キャラなんで皆さん抑えた感じ。常磐貴子がまた綺麗なんですよ。つか、よく考えたら出てる人たちは全員良いですよ。でんでんに笹野高史菅田俊。親分に元カクスコの中村育児。中でも主人公の友人の鈴木卓爾ね。イイ「映画人」顔。ああいう人いるわあ!絶妙のキャスティングでした。
ロケ地も良いんですよ。どっかの古びたビルの屋上が主人公の住処なんだけど、広いから屋外シアターも兼ねちゃって。ああいう家はちと憧れる。技術的な事いうとビルの引きの画が綺麗に撮れてたり、ふとカメラをふると屋上からスカイツリーが見えたりと、ロケ地としてかなり良い場所を選んでました。もう一つの舞台である「バー」兼「ボクシングジム」兼「ヤクザの事務所」という異色な建物も、その妖しさが照明や美術の色合いで見事に映えてましたよ。このように、この映画ってハードというか「器」はかなり良いんだよね...。


ここから不満に思った事を書きます。あと、思いっきりネタばれします。ネタばれも何も「映画キチガイが借金返済の為に殴られ屋になる」という上記の【あらすじ】以上の話は無いんですけどね。念のためこの映画が好き!って方や、まだ観てない方にはこの先はお薦めしませんのでご注意くださいまし。







端的に言うと、この主人公ってホントに映画が好きなの?...って思っちゃったんですよ。
この映画の一番重要な、ある意味「キモ」の部分を疑っちゃった。


主人公の部屋一面にビッシリと貼られた映画のポスターや切り抜きを観た瞬間に「あー、これは映画マニアというよりも電波系の男の話だな。」って事はわかったんですよ。それならまだ良いんですが、黒澤明監督のお墓参りに行くシーン、墓前で「生き残りたい...。」ってボソって言うんだよね。あ、そうなんだ。その辺は意外とマトモなんだ。「今のシネコンでかかってるような商業映画はクソだ!本物の映画を見るべきだ云々」というアジ演説を本気で街角でするような本物のキチガイだったら良かったんだけどねえ...。バルト9や新宿ピカデリーのロビーでこのアジ演説のゲリラ撮影ぶっ込んでたら文句無く「ベスト1」だったんだけどねえ...。


要はアイツって、古い映画を溺愛する「自分」が大好きなんだよね。
もっと穿った見方をすると、自分の映画が正しく評価されずに他の映画ばかりヒットしてるのが許せないっていうルサンチマンをぶつけてるだけ。
いずれにせよ自己愛の塊だ。


「生き残りたい生き残りたい」ってブツブツ言うのはそういうことでしょ。映画を作ってる人間だったら「シネコンでかかる映画なんて観ずにオレの映画を観ろ!」として欲しかったし、本物のキチガイならそう言っててもおかしくない。自分の作った映画がしょぼいもんだから、かつての巨匠たちが作り出した傑作を「正しいもの」として、ただ帰属してるだけ。虎の威を借る狐。寄らば大樹の陰。シネコン映画の悪口言うのも結構ですけどね、現実は正解ですから。愚痴を言う前に「なぜシネコン映画が流行っているのか。」「なぜ映画を3本も撮っていながら自分が評価されていないのか。」という現状を正しく理解した方が良いよ。現状に不満なら行動を起こす。屋上をぐるぐる回りながら商業映画の悪口をブツブツ言うなんてクソカッコ悪いんですよ。


で、借金返済の為に「殴られ屋」を選ぶっていう、その明後日の方向の解決策はなんなのよ。旧作映画を数多く観てるのにもかかわらず、その映画から何も学んでいないという事実に驚愕ですよ。極端に不器用。チャップリンマルクス兄弟ならもっと上手くやってるぜ。ただ観た映画の本数を重ねる事に満足してた奴なんじゃねえの?「名作」っていうモノに異常なこだわりを持って観ていながら一番「安易な」選択をとりやがった。じゃあこいつの考える「名作」って何よ?物事を真剣に考えない男なんですよ。ただ「死にたかった」ってんだったらわかるんだけど、本人は「生き残りたい」つってるからねえ。自分のわがままの為に借金を背負ってしまった兄に対する贖罪で「殴られ屋」って事だったら、それは薄ら寒いよ。で、殴られながら名作のタイトルを言うって勘弁してくださいよ。自分に酔っちゃってるんですよ。こっちも悪酔いしますよ。


主人公の「映画キチガイ詐称疑惑」が全く晴れないので最後までノれず。おかげで「殴られ屋の料金、1発8,000〜30,000円ってレート、高くね?」とか「そもそもヤクザが金出して人を殴るかね?」とか、映画に対してすげえ野暮な疑問まで浮かんでしまう始末。クライマックスは名作映画のタイトル100連発が出るんですが、既に自分の気持ちが脱落してるんでゲンナリ。落語の「寿限無」みたい。長い。100本も聴かされんのかい!気持ち的には「山手線の駅名全部言える小学生」を見せられる感じ。


さて、ここでちょっと俯瞰して考えてみる。


まあ、これって恐らく監督自身の思いを主人公に投影して作った作品なんだろうと思います。この映画、ツッコミというか冷静な奴が不在だし。とにかく現状に不満なんだなあ...って事はよくわかりました。
でも、映画の知識をひけらかすだけで自分に酔ってる主人公にはモテキのアイツを思い出したし、ヤクザに1000発以上殴られても死なないっていう暴力表現のトンデモぶりは品川ヒロシ監督作品の「ドロップ」を思い出した。なにより映画ファンに阿った、というかしっぽ振ったような「映画のタイトル100連発シーン」には映画版「ROOKIES」のラストを思い出したのです。
「ドラマファンに媚びた映画」と「映画ファンに媚びた映画」に差なんて無いでしょ。
主人公が商業映画に対して鮮烈なアジ演説を行う映画が、結局「商業映画」とやってる事が変わらないっていうのはどういう事だ?


なんかいろいろ難のある映画だなあ...とグッタリして劇場出たら、ロビーにアミール・ナデリ監督がフルスマイルで立ってたよ!思わず挨拶しちゃいましたが、あの笑顔でなんかスッキリしました。この映画、ものすごく評判良いし賞もいくつも取ってるから、これを作っていたときのような思い通りにいかない環境に対するルサンチマンは今のところ解消されてるみたい。良かった良かった。ま、それが全てです。

主人公にはとりあえず古澤憲吾監督作品をお薦めします。四の五の言わずにこれを観ろ。




※本文から漏れた感想

  • 本人が映画を撮りたいんだか観たいんだかもブレブレなんだよね。彼が主催する旧作映画の上映会って毎回満員なんですよ。旧作映画を観てる人はアジ演説するまでもなくちゃんと観てんじゃん。あれで彼の開く上映会がスカスカだったらアジ演説する理由もわかるけど。
  • なんか一番映画を殺そうとしてるような奴にも感じました。
  • 2シーンしか出てこなかった鈴木卓爾の方がよっぽど映画好きに見えたよ。雰囲気とか顔が。
  • チャップリンの「街の灯」オマージュです!って事だったらひっくり返るわ。