「シン・ゴジラ」

ここ数年。映画を劇場で観る事が出来なくなり、また、感想なんかも書くことがなかったですけど、「シン・ゴジラ」に関しては時間作ってちゃんと観たし、思うところもあったので久々に感想書きます。


今を去ること17年前、ワタシ実は「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」という映画のスタッフをやっておりまして。それはもう全力で楽しく仕事させて頂いた訳ですが、この作品、いかんせん色々と不幸が重なった映画でした。あまりにSF(というかもはやファンタジー)要素が強すぎて、自衛隊の協力が全く得られなかった、とか、お台場をクライマックスの場所としているのに、当時新社屋に移って間もないフジテレビが「うちの社屋をゴジラが壊すのはまかりならん!」と言って相手にしてもらえなかった、とか。「ゴジラ映画」なのにゴジラ映画」としてヒジョーに大事な要素を欠いた状態での製作だった訳です。(結果、この映画ではなんだかかよくわからん「機関」がゴジラと戦い、フジテレビの真横にある「フジテレビっぽい建物」をゴジラが壊す、という事で凌いでおります。)また、製作中には子供達を撮影所に招き「見学ツアー&ゴジラショー」なんかもやったりしていました。当時若かったワタシはつくづく「ああ、我々は子供達に向けた映画を作ってるんだなあ」と感じた瞬間でもありました。



で、「シン・ゴジラ」ですよ。


とても面白かったです!


ワタシが17年前に「ムムム」と思ったわだかまりを全てクリアしてくれた作品でした。まず、本当に大前提としてやっぱり「自衛隊が出てこないとね…」って話ですよ。 「ゴジラ」と「ゴジラの倒し方」以上のファンタジー要素を取り除いて極力「リアル」に寄せていたのが良かったです。延々と会議、会議、会議。子供の観客層、完全無視ね。「ゴジラ」という作品は、子供達のヒーローだったからこそ興行収入が上がっていた時代もあった訳で、夏休み公開なのによくまあこの脚本で東宝がGOサイン出し たもんだ、と驚きました。


冒頭のクレジットから、いざ「ゴジラ」が登場するまでの編集のテンポの良さたるや!テンポの良さと併せてスルスルと流れていく心地良い日本語の「メロディ」。これがエンディングまでダレ場もなく一気に観せてくれるんですから、これはもうアーティスト「ゴジラ」による2時間のライブ!と言っても過言ではありません。


この映画。徹底的に現実に即した「ウソ」というのが、手品とかペテンが大好物な私にとって「最高!」と言わざるをえない作品です。例えば、ゴジラ上陸を報道する映像。アレって今我々が散々見ているテレビのニュース映像と全く一緒なんですよ。日テレなら日テレのフォーマットで、テレ朝ならテレ朝のフォーマットで。「毎朝新聞」とか「テレビジャパン」みたいな架空のメディアがない。だから信じられるですよね。冒頭の、呑川が逆流して大量の船がバキバキと音を立てて壊れていく様は3.11の時に恐怖を感じた映像そのままだし。どこかで見たことあるような画が映っている。でもそれは自分の人生で映画で見たのか、アニメで見たのか、現実で見たのかわからない。脳みそが混乱する。怖くて幸せな映像体験を味わえました。


個人的に好きなのは物語を引っ張った矢口蘭堂というキャラクターです。先頭に立ってゴジラと対峙し、ゴジラシリーズの中でも頼り甲斐のある主人公でしたが、アイツはあの危機的状況に於いても恐らく自分の考えの3割くらいは「政治家としての自分の未来」を見ていたようにしかみえんのです。
生粋の政治家よ!2世議員だし!その態度、すごく素晴らしい!
シン・ゴジラ」観て一番最初に思い出したのは立川談志の「鼠穴」という噺です。ざっくり言うと弟が金借りにきたけどしょぼい金額を渡した兄。数年後、金を返しにきた弟に「お前の為を思ってわざと少ない金を渡したんだ。」みたいなことを言うんですよ。浪花節みたいなイイ話。でも談志の解釈は「兄貴はただケチっただけ。」との事。矢口蘭堂も、すごく国を守る為に死力を尽くして戦ったけど本心はどうだか…。打算も人間の本質です。この作品は「人間の本質」がよく描かれていたように見えました。何考えているかわからない妖しい魅力の長谷川博己をキャスティングされていたのも大正解だと思います。



と、いろいろ書いてきましたがね。

この作品はシネフィル、映画クラスタ、映画マニア、等々、ワタシを含む悪しき映画好き達が観終わった後に良し悪しをゴニョゴニョ言うような作品ではないのです。もはやその狭い枠には収まらない、というか。
先日、とある縁で飲み会に参加しました。メンバーは生物学者、科学者、経済学者、自衛隊員といった、とんでもない面子。その人たちが口々に「シン・ゴジラ面白い!」と。それだけではなく、ゴジラ細胞の構造についてやヤシオリ作戦の経済的損失、自衛隊員から見た今回の作戦とかを熱く語るんですよ。その人たちの話がムチャクチャ面白い!ゴジラありきで真面目に語り合いました。誰もがあらゆる角度でいろんな話ができる映画。そんな映画ここ最近で聴いたことがありません。
何か違ったメディアで生まれた作品の映像化というわけでも無く、映画が産んだキャラクターの復活。
観客に一切媚びずに、自分たちが作りたいものを作る精神。
これを見ろ!という圧倒的自信。
そして観終わった多くの人に「自分も語りたい!」と思わせてくれる映画。
シン・ゴジラ」は日本映画の希望であり、21世紀の新しい指針だと思います。

シン・ゴジラ」本当に良かった!


おまけ
WatchMojo.com によるTop 10 Godzilla Villains.

ワタシだったらゴジラの敵キャラ一位は沢口靖子a.k.a.ビオランテ)だな。


本文から漏れた感想

  • IMAXの3列目から観たからホントにゴジラを見上げるような映像体験になりました。
  • 蒲田を散らかしたあのゴジラのビジュアル。マジでヤバいやつきた!と思いましたよね、やっぱり。
  • ワタシの地元である川崎市ゴジラの第一防衛ラインになってるのもプラス評価!ワハハ!丸子橋!
  • 石原さとみの「あの感じ」は東宝映画の味!X星人みたいなやつ。
  • ゴジラ×メガギラス」は、「キングコングvsゴジラ」が好きだとおっしゃってた手塚昌明監督だけあって、怪獣対怪獣の肉弾戦が素晴らしい作品となっておりますよ。

「原発アイドル」

今回は映画の感想では無く、昨年放送されたドキュメンタリー番組「NONFIX」の「原発アイドル」という作品の感想です。時期を逃したまま完成しなかった下書きを復活させます。


【あらすじ】※NONFIXホームページより引用

今や、その文字を目にしない日は無いといっても過言ではなくなった、「脱原発」問題。
原発は必要か否か?「3・11」以降、それは明確な答えの出ないまま、まるで空気のように、私たちの暮らしを被い続けている。
しかし…ある日、突然その答えを求められたら?
ここに、その渦中に立たされた少女たちがいる。職業=アイドル。
脱原発”ソングを歌うことになった少女たちが考える原発問題とは。家族や、ファンのとまどい。しかしそれはいつしか、少女が「原発」について“本気”で考えるきっかけとなっていった。
番組は、「脱原発デモ」と向き合い続けたアイドルを1年に渡り追いかけ、少女たちの心の変化を見つめていく。

以下、感想です。




ワタシ自身、原発問題にもアイドルにもほとんど意識がない(と、書くと熱心に活動されている方に誹りを受けるかと思いますが)と云うか、皆さんほど熱量がありません。
そういうスタンスのワタシが観てもこの作品は非常に面白い内容でした。


アイドルのドキュメンタリーでありながら、ファーストカットはデモ隊と対峙する警官たち(顔モザイクなし)。原発反対を掲げるデモ隊。舞台は東日本大震災から半年後の東京。そこに登場する明らかに場違いな女の子たち。彼女たちは「ダッ!ダッ!脱原発の歌」を歌うアイドル「制服向上委員会」のメンバーたちなのでした。

奥に映ってるの吉田豪さんとバニラビーンズのレナさんじゃね?


いきなり物々しい雰囲気で始まるので「アイドルドキュメンタリー」として観始めたワタシは結構面食らいましたが、制服向上委員会が初めて登場するシーンを観て幾分安心したのですよ。新宿のアルタ前で街宣車の上に上がる時の彼女たちの眼がムチャクチャ怯えちゃってんですよね。反原発運動を熱心に活動している「闘士」の眼じゃない。普通の女の子たちでした。この冒頭の彼女たちの眼がこのドキュメンタリーの「全て」を語っているので、非常に素晴らしいカットだと思います。


実はワタシ「制服向上委員会」を生で観た事あるんですよ。約20年くらい前に。高校時代に多摩テックに行った時に舞台でライブをやってるのを見かけました。要はそれくらい活動期間が長いアイドルなんですよ。ボクが見かけたときは普通のアイドルっぽかったですが、まさかこんなに政治問題に密着する歌を歌うアイドルになってるとはねえ...。作品内でも彼女たちはいろいろな会場で歌を披露しています。それがだいたい「反原発活動」の集会っていう...。客数に関しては一流アイドル並!でも、客層は「制服向上委員会」目当てでは無く、反原発活動で集まった方々。スゴい画ですよ!そりゃ彼女たちだってスッカスカのライブハウスで歌うよりも3,000人の前で歌った方がやりがいがあるだろうし。反原発活動をしている方々も盛り上がるだろうし。win-winってこういう事を言うんでしょうか。


明らかに「アイドル」として異質。にも拘らず、メンバーやその親御さんたちは、まるでその異質さに気付かないようにしているみたいに極めてポジティブにアイドル活動を行っています。こういうの見せられるとやっぱりその先の興味はどうしても「誰が仕掛けてンだ!?」って事に向きますよね。で、このドキュメンタリーが良く出来てるのはその「何なンだコレは!?」という疑問が浮くか浮かないか位の絶妙なタイミングで「答え」を映像で見せてくれるのです。見事な構成だと思います。「制服向上委員会のコンセプトって誰が考えてンだ!?」と思ったら次のシーンはちゃんと、仕掛人であるプロデューサーの紹介。
しかも更にスゴいのが「なんでこんな活動やってンの!?」っていう疑問を、作り手がちゃんとプロデューサーに聴いているところ。この疑問って割と商売に直結する、アイドルに於ける「ファンタジー」の部分だと思うんだけど、制服向上委員会のプロデューサーさんはあっけらかんとこの問いに答えちゃってる事にも驚きを隠せません。こういう「裏方の本音」って、AKB48ドキュメンタリー映画がはっきりと隠していた部分だからね。ここがAKB48ドキュメンタリー映画とは全く違う作品だと思います。どっちが良いかって話じゃないけどね。こっちの方が観客にも作り手の気持ちにも素直だよね。


幽霊の正体見たり 枯れ尾花 とはよく言ったもの。外見はアイドルだけど中身が団塊のおっさん。プロデューサーや裏方の一人である作曲家、頭脳警察PANTA(!)がこのアイドルたちを作っている。PANTAがインタビューで「アイドルは中身が空っぽだから作ってあげる、中身が空っぽだからアイドル=偶像なんだ。」とおっしゃってますが、この作品って「アイドル=偶像」だと云う事を的確に表現していると思います。
アイドルに憧れて福島から上京し、制服向上委員会のオーディションを受ける女の子。彼女は福島に住んでいながら、原発の事を質問されると答えに窮する。ただ、アイドルになりたかったから、人前に歌いたかったから制服向上委員会に入った。運営側は「原発問題には興味が無い」なんて言っときながら原発の集会に彼女たちを出演させる。反原発問題で活動している人々は彼女達を「同士」として仲間に迎え入れる。それぞれの思惑が見事にマッチした状態。


ぶっちゃけどうなんすかね?

これって良い事なんですかね?

さっきはwin-winなんて書きましたけど、どうにもこうにも「良かったね」とは良いづらい。


それはなぜか?


やっぱり冒頭の彼女たちの「眼」なんですよ。
あの、デモ隊の迫力に完全に呑まれちゃってるあの子たちの「眼」。
これが「反原発活動」に対し、心身共に前のめりになってるような子たちであれば「そりゃ良かったね〜」なんですけどね。口や態度では「脱原発!」とは言っておきながらものすごく周りに翻弄されてるように見えてならんのです。そして彼女たちの「眼」が「アイドル=偶像」だという事の一種の答えのような気がします。


だから、本編の後半でメンバーたちが車座になって「実際問題、『脱原発』ってどうよ?」とディスカッションするシーンは素晴らしかったです。はっきりした。メンバーたちが実際にどう思っているかがはっきりした。「脱原発の歌」に疑問を持つ子がいたり、「原発で助かる人たちもいる」という反対意見がちゃんと出てくる真っ当な子たちでした。
脱原発の歌」によって制服向上委員会を卒業した子もいたり、「これはコレ!」と割り切って歌う子もいる。本当にあの地震、あの原発事故がそれぞれの人生を変えてしまった。そこにBGMで流れる「原発さえなければ」という曲が、彼女たちをくっきりと反映していて見事でした。


監督は「アヒルの子」という、ご自身の半生を取り上げたスゲえドキュメンタリー映画を撮った小野さやか監督。監督の目線は「アヒルの子」の時のテンションと比べて、極めてクールでした。言っちゃなんだけどセルフドキュメンタリーを撮った人って次作がなかなか撮れなくなるって聞くけど、今回のテーマはかなり良かったのではないでしょうか。つか、よくこういうテーマを見つけてきたな、と思う。「自分の意志ではどうする事もできない環境に翻弄される女性」を描いたら抜群に上手い監督です。ご自身がそうだったからだと思うけど、同じように「環境に翻弄されている子たち」にやさしい。


ドキュメンタリーのテーマを「反原発」「脱原発」としなかったのは正解だと思います。極めて冷静に、それでいて彼女たちに暖かくカメラを向けていました。「反原発のドキュメンタリーじゃねえじゃねえか!」とお怒りの方も出てくるかもしれませんが、是非多くの人に観て頂きたい。外部の人間には全くコメントの仕様がない、完成されたwin-winの関係性。その真ん中にいる、訳が解ってないアイドルたち。こういう善し悪しとかを超えたものを見せてくれるのがドキュメンタリーの醍醐味だと思います。未見の方は是非!




【おまけ】
原発さえなければ:橋本美香&制服向上委員会」

「ダークシステム 完全版」

たしかこの作品の予告を観たのは去年の「童貞。をプロデュース」上映の前だったと記憶しています。なんだか血圧高めのテンションに圧倒されたのと、9月の時点で「NEXT SPRING」と表示された予告に「ずいぶん先だなっ!」と心の中で突っ込んだもんです。ただ、なんとなくその時「これは観に行かねばならないだろうなあ...」と感じました。映画に強引に呼ばれた感覚がしたというか。今回は今まで不定期で紹介してきた「謎の映画」シリーズの中でもトップクラスに「謎」な映画、「ダークシステム」の感想です。


【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

加賀見(宅野誠起)が思いを寄せるユリ(鎌田優子)が、友人の西園寺(古谷克実)と交際することに。しかし、西園寺の異常性が明らかになり、加賀見は西園寺と決闘することを決意。そして数年後、ユリと結婚を意識し始めるようになっていた加賀見の前に、ユリのストーカー、ファントム(上馬場健弘)が10年ぶりに現われユリを奪ってしまう。加賀見はユリを奪い返すべく、ファントムに立ち向かう。

【予告編】


以下、感想です。








スゴく面白かったです!
スゴく好きな作品です!


なにしろ予告編の2分ちょいくらいしか観てない状態で観に行った訳ですから、どんな内容かもさっぱりわからんのですよ。で、蓋開けてみたらアヴァンタイトルだけでこの映画がどういう方向に進んでいくか、主人公カガミ君がどういう人間か一発でわかる。話は極々シンプルなストーリー、「愛する女性を自分の親友かつライバルから取り戻す為に戦う」という上がる内容なんだけど、普通の話と違う部分は「主人公が一貫して下衆」ということ。この下衆っぷりがど真ん中すぎてむしろ清々しさすら感じてしまいます。


ま、愛する女性を取り戻すも何もそもそも告白する前に親友にかっさらわれてるんですが、その為にカガミ君が開発した「ヘリコプター型マシン」(恐らくこれを「ダークシステム」という)の主な機能が、犯罪に触れるタイプのアレ。で、作ったのは良いけどそのおかげでより悶々としてしまうのでした。他方、敵となる親友もどうかしていて延々とボケ続けます。しかもヒロインとなる女性も「あんたの心、どこいったんじゃ!?」ってくらい表情がなんもない。要はマトモな人間が一人も出てこないのです。この3人の異なるキャラクターがそれぞれに独特な「間」を生み、それがちゃんと「面白さ」に繋がってて素晴らしいです。前半1時間が「1」で、後半1時間が数年後に撮影された「2」との事らしいのですが「2」ではこの3人に負けずとも劣らない強烈なキャラクターが一人増えて、より「どうかしてる」感がパワーアップしてました。


主人公のカガミ君は前述の通り、立派な下衆で、真っ直ぐにひねくれた考えが独特の説得力を持っていました。公式HPにも書いてあるので書きますが、独特の熱い台詞回しは熱血マンガでお馴染みの島本和彦先生の一連の作品の登場人物を思い出します。島本先生の作品の台詞に
自分がその行為を見ていたら止めたくなるかもしれないが 俺の行為は俺には見えんから止めようもないっ!!(『男の一枚レッドカード』より)」
ってのがありますが、まさにそういう事ですよ。中二病もなにも、彼自身にはそういう風に世界が見えてんだもの、あの喋り方も逆にリアルですよ。人を睨みつける三白眼も、キ印マシマシで良し。あいつ「2」でふんわりパーマを当ててやんの。しかもその件に関してはスルー。
主人公の親友であり、ライバルの西園寺もまた非常に魅力的なキャラクターでカガミ君とどっこいどっこいの良い勝負の男。普通に見れば良い顔してるんですけどね。彼がマトモな時がほぼ無いってのもスゴいです。ヒロインのユリちゃんも前述の通り、一切の感情が無い、もっさりとした方なんですが、「2」のクライマックスに見せる唯一の表情が映画全体を締めたといっても過言ではない程、絶妙なタイミングで良い演技をしておりました。侮れん。「2」の敵であるファントムは、観て頂ければ解りますが彼の学ラン姿が非常にヤバいです。あの制服ってドコで見つけてきたんだろうね。もちろんその件に関しても当然スルー。どこまでボケててどこまでマジなんだかわかりません。


冒頭に今まででトップクラスに「謎」な映画と書きましたが、この映画がどういう経緯で作られた作品なのか、監督はどういう人なのか、出ている人たちは何なのか、が全くわからんのですよ。若手の映画監督って大なり小なり「影響を受けた監督に似た画」ってのを撮るじゃないですか。この作品にはそれが全く感じられないのです。あのカットはあの監督のあのシーンのオマージュだな、とかが無い。その割に画はカッチリと決まっているし、照明や効果音が物語の演出にちゃんと機能していて予算の少なさを見事に補っていると思いました。雨が上がってるシーンとか「おおっ!」と感心してしまいましたよ。あと、今作の緊迫感あるメインの音楽も監督ご本人が作られてるのね。より「謎」だよ!


ハリウッドでも日本でもよくやりがちなミスとして「ふざける」という事を間違えて解釈して作品を作ってしまうって事があると思うんですよ。「観客を笑わせるような面白い事をやる」時、ダメな映画って作り手がふざけてるだけなんですよね。「    」とか「    」とかね(カギカッコ内には思い当たる好きなタイトルを入れよう)。それは手を抜いているだけで、そういうの観るとホントに不快になりますね。でもこの作品って極めて真摯に作られているんですよ。大真面目にふざけた事をやる。もちろん「どインディー」の作品だけあって画面は安いですよ。「ダークシステム」つってもレゴとナップサックだし。でも今作は恥ずかしげな内容であっても、それを描く事に一切の「照れ」が無い。拙さやお金の無さは、アイデアと魂の熱さ=ガッツでカバー!という心意気が観ていて非常に心地良いのです。そして、その心意気が島本和彦先生の世界観とシンクロしているんだと思います。


劇場で声出して笑ったのは久しぶりでした。コサキンリスナーならわかる「バカでぇ!」の突っ込みが何度出た事か。笑っているうちに心がフと軽くなる、そんな映画。描いている事は中二病(ワタシの感覚では小学生くらいの魂)でも、ちゃんとした大人が愛情たっぷりに作った映画です。大人だなあ...。大人、ありがとう!ダメな映画に「お金がないから」という理由が通用しない事が証明された気がします。こういう熱い魂を持った作り手たちが今後もっと増えていく事を期待!だから映画を志す人は是非観るべきだ!
そして作り手の皆さん、「なんか・・・ありがとう!!(『男の一枚レッドカード』より)」




【おまけ】
島本和彦先生ご本人が歌う「炎の転校生」OPテーマ

「かなわぬ敵にも ひとまず当たれ!」ってこの歌詞がもう見事に島本先生の世界!


子供の頃に「コサキン勝手にごっこ」っていう、素人が作った映像を紹介する番組があってそれがスゴく好きでした。
今作でちょっとそれを思い出した。
「行け!止まれマン」


※本編から漏れた感想

  • 必殺技の使用時には「大きく発声」。正しい。
  • たった4人の登場人物でこんなに面白いんだもんなあ!
  • 4:3の画面もむしろ新鮮
  • この作品観る前に「世界にひとつのプレイブック」を観たんだけど、「世界に〜」の主人公も今作のカガミ君も冒頭で「女の子に告白の練習」をしてやんの。男心は世界共通!
  • 合成された音声ってビンビンくるね!やっぱり「ナイトライダー」世代なもんで。

「ダイ・ハード/ラスト・デイ」

今年に入って観た洋画がブルース・ウィリスが出てる作品っていう非常に偏った年初となっていますが、今回の感想はダイ・ハードの最新作です。一作目から既に25年の月日が経ってるのね。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

久しく会っていなかった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアでトラブルを起こした上に、ある裁判の証人となったと知らされた刑事ジョン・マクレーンブルース・ウィリス)。身柄を引き取りに現地を訪れた彼だが、そこでテロ事件に巻き込まれてしまう。相変わらずの運の悪さを呪いながらも、混乱状態に陥った状況下でジャックと再会するマクレーン。しかし、なぜか親子一緒に次期ロシア大統領候補の大物政治家、大富豪、軍人らが複雑に絡む陰謀の渦中へと引きずり込まれるハメになり……。

【予告編】


以下、感想です。









クソ面白かったです!


まず、大・大・大前提として、面白い訳が無いんですよ。いくら「ダイ・ハード」だからっつっても「5」ですよ「5」!「昔の傑作の続編を繰り返し作っときゃ、ある程度客が入るんじゃね?」レベルの志の低さですよ。宣伝にしたって、どんなに面白い映画だとしても公開する前の認知度を上げる初動はキツい訳で、それに比べりゃ「傑作の続編」となりゃ初動の手間もかからんのです。「毎度お馴染み、あの刑事が帰ってきました!」ってなもんで。あと「5」となれば作品に関して観客に気を使わなくても良いですしね。いちいち説明しなくても「この人はこういう人!」っていう事を作り手が「観客が当然の如くわかってる」前提で話を進めますから。0を1にするのは大変だけど1を2にするのは楽、と物事を進める上でこんなたとえ話を聞きますが、たぶんそういう事なんでしょう。


最初、随分とガチャガチャとした印象でしたが、マクレーンがいよいよ本腰を入れ出す辺りからもうバカ展開!モスクワ市街をムチャクチャなカーアクション(a.k.a.意地の張り合い)で縦横無尽に暴れまくります。去年観た「007 スカイフォール」のアヴァンタイトルもスゴかったですが、今作はある意味それを上回っていたような印象です。うちの甥っ子(5歳)がおもちゃの車と車をぶつけて遊んでるのをたまに観ますが、まさに「それ」。車ってあんな簡単に宙を舞うんだね!
一方、そんなカーアクションと引けを取らないガンアクション。映画館の音響が良かったのも相まって銃声が重いんですよ。胸元にズシンズシンと響く銃声はたまにありますが、今作は銃声の重さが観てる座席の足元にまで響いてきました。こういう体験をしちゃうとやっぱり映画って映画館で観た方が良いねえ...と思うばかりで。


作品自体は全体的にシリーズを楽しんでいる方々には伝わるであろう小ネタが満載で、ワタシ自身、終始ニヤニヤとしてしまいました。一番好きなシーンは、親子共々悪い奴に捉えられた際、マクレーンの息子が万が一の為にしておいた、とある準備。と「その息子がしていた準備」を見て思わず笑い出すジョン・マクレーン。そうだよね!そりゃ笑っちゃうって!
マクレーンの息子を演じていた俳優さんもブルース・ウィリスというアクの強いスターの横に並びながら、それに退けを取らない素晴らしい演技だったと思います。「1」の時はあんなにちっちゃかった子がねえ...とイチイチ感慨深いです。まあ、「1」の時の子役と今回の息子役は当然別人ですけどね。


ダイ・ハード」って、新作が公開される度に毎度観に行ってますが、今作にしてようやく「逆に面白いわ!」と思えるようになった気がするんですよ。その場にいるのに、もはや「妖精」の感覚すらある。今作の骨格と申しましょうか、ストーリーラインは息子がメインでとにかくシリアスに、真面目に進むんだけど、側にいる親父がとにかく邪魔!そのギャップがもうギャグ。今回のジョン・マクレーンってかつてのシリーズ作品と比べて、一番何事にも動じないんですよね。親父の思いは「息子と一緒にアメリカに帰る」って事しかない。いや、息子は今仕事中だから!
こんなジョン・マクレーンの姿を観ると、ひょっとしたら彼自身、「オレってひょっとしたらもう何やっても死なないんじゃないだろうか...?」という事に気付いちゃってるフシがあるんですよねえ。彼のいる世界が「映画の中」ということにまだ気付いていないにしても。
何が起こっても、多少ボヤくにせよ、淡々とこなす。
5作目にしてジョン・マクレーンに「この、オレばっかりヒドい目に遭う世界で生きてやる!」と、腹を括ってるような覚悟が見えました。そりゃあねえ、人間成長するもんね。あんなに毎回毎回とんでもない事に巻き込まれ、しかも全部乗り切ってんだもの、何事にも動じなくなりますわ。


ただ今作は「1」をこよなく愛する方々にとってはクソつまらない凡庸な作品だったと嘆く方も多いと思います。
とかくこのシリーズ、特に「1」は息もつかせぬアクションの連べ打ちと、伏線が張り巡らされた緻密な脚本が素晴らしかった。でも今作に於いて、その緻密な脚本ってのは無いですよ。ぶっちゃけ酷い。特に放射能問題。あまりにも幼稚すぎる。物事を理解もせずに描くと作り手のバカっぷりを丸出しにしてしまうのでホント止めておいた方が良いですね。後半なんてただドカンボコンと爆発してるだけですから。火薬の量に於いてのみカタルシスを生むみたいな作りですから、人間模様を描いてどうのこうのなんて作品を期待されてたら腹も立つでしょうなあ。


しかし、ワタシ自身そういうの、もう通り抜けちゃった感があるんですよ。ダイ・ハード」シリーズってのは「3」から「4.0」にかけて、ゆっくりと死んじゃった作品だと思ってますから。


思えば子供の頃、病気で学校を休んだ時に母が録画して観せてくれたテレビ朝日日曜洋画劇場の放送分が一番最初に観た「ダイ・ハード」でした。これが問答無用で面白い!野沢那智さんの名吹替も心地良く「あぁ、ジョン・マクレーンってべらんめえ口調で喋るから生粋の江戸っ子なんだな。」と思った次第。このインパクトがスゴくて、事ある毎に観直す映画となりました。
それが「2」までは良かったんですよ(今思えば「2」は監督のレニー・ハーリンらしい爆破&爆破の大味な映画でしたけど)。それが「3」で個人的に「ぎょっ!」とする展開に。更に「4.0」で、その「ぎょっ!」とした違和感が決定的に不快感&断絶に変わってしまいました。

「3」と「4.0」って奥さんのホリーが出でないんですよね...。

しかも「3」では別居中、「4.0」に至ってはもう離婚しました、って事になってやんの。
ガッカリだよ!「1」と「2」の、あの粋なエンディングを返してくれよ!!

ジョン・マクレーンがカミさんであるホリーと別れるっていう設定が、それがキャスティング上の問題で出なくなったとしても本当に残念でならんのです。特に「1」のラストがあまりにもハッピーエンドであっただけに。


ワタシにとって「ダイ・ハード」は、妻であるホリーがいないと成立しない作品だと思ってるんですよ。ホリーが出てない時点でもう何回やっても同じ。「3」と「4.0」で完全に「ダイ・ハード」熱が醒めちゃってたので、今作はもう惰性というか、なんも考えずに観る事が出来ました。だからこそ楽しめたのかもしれません。観る事が出来たっていうか「花火大会」に参加したっていうか。「2」とか「3」でコレやられたら腹も立つけどコレ「5」だし。「おっさんが家族を守る為に戦う。」という「ダイ・ハード」の根底に流れるテーマだけは辛うじて残っているので良し!とした感じです。ただバカな映画を観たい!って時だってあるでしょう。ちょうどそんな気分の時にピッタリな作品でした。酒でも呑みながらぼんやり観るにはマジでオススメな映画ですよ!


【おまけ】
手作りの「ダイ・ハード


淀川さんの「ダイ・ハード」解説

「DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?」

AKB48のドキュメンタリーも、もう3年目なんですね。毎年、出来が良くなってきているシリーズなので今年はどんな感じになっているだろうと思いまして観てきました。平日の夕方ともあって男子高校生多し。高校野球の抽選会くらい色んな制服の男どもが観に来ていましたよ。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

2012年はAKB48にとってエポックな1年となった。現在は数少なくなった1期生として初期からグループを支え、センターに立ち続けた前田敦子が脱退を宣言したことから、総選挙は誰がトップを奪うのか大きな注目を浴びる。そして初の東京ドーム公演と前田の卒業公演が続き、また恋愛禁止条例なども話題になった。さらには、東京ドーム公演にてAKB48が組閣するという発表もされ……。

【予告編】

ご参考までに、過去2作の感想をこちらに。

なんかAKB48についてはこの2つの感想で全部言い切ってる気もする...。


上映前の劇場は、なにか異様な殺気を感じました。上映が始まってから入ってきたカップルが「邪魔だよ!」って本気で怒られてたし。ま、確かに邪魔だけど普段の映画館では見ない光景。そんなこんなで以下、感想です。





結論から先に書くと、今までのAKB48のドキュメンタリーで一番良かったと思いました。


1作目はタルいし、2作目はエグい様に見えてそりゃタダの運営側の怠慢じゃねえか!と思ったり、振り幅が毎年極端なシリーズとなっていましたが、今回は過去2作の欠点をピンポイントで補正してきたように感じました。そもそもこの映画くらいしかAKB48と向かい合う機会が無い訳でしたから、ライブなんかも改めて見るとやっぱりスゴいんですよ。デカいハコで超満員の観客を目の前にしてパフォーマンスを繰り広げる。やっぱりこういう迫力ある映像は映画が映えますね。
過去2作でワタシ自身が感じていたストレス(元メンバーの意見とか聞いたら?とか、ここの運営はどうなっとるんじゃい!とか、誰かお医者様を呼んでください!とか)が、解り易いカットの挿入でクリアされていました。例えばAKB48内だけで言うところの)不祥事で辞めちゃった女の子にインタビューをしていたりとか、AKB48内だけで言うところの)不祥事で辞めざるを得なかった女の子の最後のファンへの挨拶を聞いて涙するスタッフのおじさんを狙って映したカットがあるとか、健康診断を受けるAKB48のメンバーたちとか。ただ、それがもう「はい、うちはちゃんとしてますから!」って言いたいが為のカットに見えちゃって悪い意味で面白かったです。


今作のテーマは2本立てで、まず一つは「AKB48の『センター』とは?」という事。
舞台の中心に立つ「センター」。それがどれだけ華やかで、且つものスゴい重圧がかかるポジションか、と云う事がメンバー達のインタビューで浮き彫りになっていきます。で、この「センター」を長年努めて来た前田敦子さんの卒業が一つのクライマックスとなっていました。今作のあっちゃんは、やはり環境ってのが人を変えるんでしょうねえ。なんかもう神々しかったですよ。去年は観ているだけで心配になるほどヘロヘロでしたが、今作では他のメンバーと一線を画すぐらいの華やかさがありました。とんでもない能力を持った人がコミュニティから抜ける、って話ですから「桐島、部活やめるってよ」がお好きな方は多分この映画も楽しめるんじゃないでしょうか。あっちゃんが卒業する東京ドーム公演のシーンでは、静まり返った劇場内からすんすんと男どもがすすり泣く声が聞こえてきましたよ。すんすんすんすん。この「センター」について、樋口真嗣監督が登場して解説してくれるんですが、この解説が今までに無い新しい角度からの解説となっていて、「センター」とは?という問いに対して素晴らしい回答となっていました。こういう外部の人からのAKB48に対する意見ってのも今作が初めてだったので新鮮。


素晴らしいと言えば、スケベ者として今回良かった点がありまして。今回の総選挙のシーン。ナレーションも説明も全くないけど、研究生の光宗薫さんを追っているカットが何回かあるんですよ。発表前は舞台裏で他のメンバーとはしゃいだりしていたんですが、いざ発表になると選抜されず、失意の中、退場。お客さんの視界から消えるか消えないかのところで光宗さんは気絶してしまいます。カメラの前でバタッと倒れるんですが、このカメラ、仕事を良く解っていて介抱せずにずっとその倒れた光宗さんの姿を撮り続けるんですよ。この作り手の「人でなし」感が観たかったんですよ。半分は批判してるんだけど、半分は褒めてます。やはりある程度「人でなし」じゃないとドキュメンタリーって面白いものが撮れないと思ってるんですよ。今回はこの作り手の「覚悟」が思わぬところで見る事が出来たので良かったです。


今作のもう一つのテーマ「AKB48と恋愛禁止」という点についても書いておかなければなりません。
もうたぶん皆さんご存知の通り「AKB48は恋愛禁止」という鉄の掟があるんですよね。この鉄の掟、鉄の割にやたら破られています。作り手側もたぶんホントは「センターとは?」というテーマだけでドキュメンタリーを撮りたかったんだと思うんですよ。でもあまりにもこっちの話題が多過ぎて描かざるを得ない。そんな雰囲気を感じました。メンバーとの個別握手会の折にAKB48内だけで言うところの)不祥事を起こしたメンバーがファンに向かって挨拶をするんですが、このシーン、魔女狩りのような処刑台のような、ものスゴく嫌な雰囲気が漂っちゃうんですよ。号泣しながら「申し訳ありませんでした!」って。で、それを舞台裏で観ているメンバーたちがいて。中にはスキャンダルが載った週刊誌の発売日前日に「ご迷惑をかけたので辞めます。」とか決断しちゃう子がいたりして。
この姿すら残しておいて映画にするっていう商魂の逞しさには「いよっ!女衒!」(意味は各自で調べよう)とかけ声をかけたくもなりますが、一応、見せられる部分は見せているという点に於いて、逆にファンには誠実なのかもしれないなあ...と思ったり。


前作のドキュメンタリーがAKB48のとんでもなくエグい部分を描いていて(正確には運営側の拙さだけど)、表現できる臨界ギリギリまで見せたなあとも思いましたが、実は今作の方がAKB48の映画の臨界点だったと思うんですよ。


今作は「AKB48と恋愛禁止」というテーマを取り上げておきながら、「AKB48って恋愛禁止なんですよ〜。」以上の事には全く踏み込めていません。もちろんこのルールに翻弄されているメンバーやスタッフの姿はものスゴく丁寧に描かれていましたよ。でも本当に観たいモノ、知りたい事って言うのは「なんで恋愛禁止なの?」っていう事と「恋愛したらこんなにヒドい目に遭うのになんで恋愛しちゃうの?」っていう、出演者皆さんの根本的な気持ちですよ。
AKB48が恋愛禁止なんてこたあ、充分知ってますよ。先日もYOUTUBE使って世間を賑わしてたじゃないですか。あのショッキングな丸坊主の映像を否が応でも見せつけられて、「なんなのコレ!?」と不快感まじりで思った疑問の先が映画の中には当然無い。映画がもう実際に起こった事に追いついてないんですよ。たしか丸坊主の映像が流れた時って映画公開の直前だった筈。丸坊主の映像のおかげで、この映画が壮大なネタ振りになっちゃってんですよね。峰岸さんはこの映画の中で処刑台に昇る仲間を見て涙してるんですよ。そんな姿を観ときながら何でこんな事になってんだ?
「アイドルは恋愛禁止!」っていうルールを作っちゃった人(空気?)と、「ルールがあるにも関わらず恋愛せずにはいられなくなった女の子の気持ち」が描かれていて初めて「すげえドキュメンタリーだ!」と思うんですけどね、少なくともワタシは。


でもまあ、こういうのってファンの皆さんは観たくもないかもしれない。ファンとアイドルと運営側、三方の落とし所のバランスが極めて良い状態だったので今作が今までで一番良かったし、ある意味「臨界点」を迎えた映画だと思いました。残念ながら恐らくこのシリーズがもうこれ以上進化するって事はないでしょう。他にやりようが無いし、これ以上進めない。純化した、というか、より「ファンの為に捧げる心地良いPR映画」になりました。おかげで最初は殺気立っていた劇場内もなんだか多幸感に溢れていたようですもの。ただ、劇場出たら現実が待ってるからねえ...。
今回の丸坊主の件で、なんかハッキリとAKB48に対する潮目が変わった気がするんですよ。当たり前の話、AKB48のファンよりもAKB48に興味ない人の方が大多数な訳ですから。そんな人たちにもあんなショッキングな映像が届いちゃってるってのは本当によろしくない。今後、AKB48が何を仕掛けてもしらける気がします。でも来年の映画もこんな感じの「ファンの為に捧げる心地良いPR映画」になるでしょう。「終わらない文化祭」なんて一昨年の感想で引用させてもらったけど、祭りってやっぱ終わるんだね。


「恋愛禁止」っていう毒はメンバー追放どころの騒ぎではなく、AKB48そのものにもジワリジワリと効いてくる。去年、指原さんが涙ながらに釈明していたラジオ。やっぱりドキュメンタリーのカメラが入ってて今作でも使われてました。もし先日、峰岸さんが丸坊主にして謝罪する動画を撮影してるところにもドキュメンタリーのカメラが入っていたら...。



ゾッとするね。








【おまけ】
今作で一番ひっくり返ったのがドーム公演の時にあっちゃんが歌ってた曲。「アイドルだって恋をする〜♪」だってさ。もう言ってる事とやってる事がムチャクチャだよ。

でもこの歌の「アイドルだって恋をする〜♪」って部分がこの映画に使われてるって事から、かろうじてこの作品の監督の本音のメッセージを感じました。


あと、どうでもいい事ですが「UZA」って曲、男性のバックダンサーがいらっしゃいました。
で、その後ろにAKB48のメンバーがいるの。バックダンサーって何かね...。






※本編から漏れた感想

  • AKB48の1年分の情報を一気に取り込むと、思いのほか、ぐったり。
  • イナバ物置のCMは、早過ぎたAKB48システムだったのか。
  • AKB48とかSKE48とかNMB48とか、フルメンバー揃ってのかけ声は圧倒的。武器持たせたらそのまま軍隊になれそう。AKB48小隊とか。
  • ネットの中傷画面は完全に作り物。本物出すべきじゃない?
  • 峰岸さんがスクリーンに映るだけで客席から乾いた笑いが。

次回、この作品で感じたモヤモヤが無いアイドルのドキュメンタリーの感想書きます。

「フラッシュバックメモリーズ 3D」

思えば。ボクが学生時代だった90年代頃は、ドキュメンタリー映画なんてポレポレ東中野アップリンクユーロスペースみたいな、所謂「ミニシアター」でしか上映されて無かったんですよ。ドキュメンタリー映画の地位が上がったんだか、映画のジャンルの底が抜けたんだか、どう表現していいのかワカリマセンが、近年シネコンでもドキュメンタリーが観る事が出来てスケベ者には良い時代になりました。今回はミニシアター(というかインディーズ)から飛び出した雄、松江哲明監督の新作の感想です。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

ディジュリドゥアーティストや画家の肩書を持ち、国内外で精力的な活動を続けてきたGOMA。活動10周年を迎えるにあたり、記念として映像制作を行ってきた最中の2009年11月、首都高速で追突事故に遭ってしまう。事故後、記憶力に問題があることが発覚。高次脳機能障害が後遺し、軽度外傷性脳挫傷と診断される。GOMAは自分が演奏していたディジュリドゥが楽器であることも覚えていなかったが、リハビリに励み、復帰に向けて少しずつ動き出す。

【予告編】


以下、感想です。







端的に言って非常に「酷な映画」だなあ、と。

そりゃそうですよ!踊りたくなるのに映画館には座席があるから座ってないといけないというジレンマに陥ってしまうのです。冒頭から映画館がライブハウスへ。この音楽を聴きながら「コレを座って観ていていいのか?」という気分にさせてくれます。ボクは今作を横浜ブルク13新宿バルト9で観たのですが、どちらも音の環境が素晴らしかったので全身を音楽に包まれてしまいました。今回の松江監督の餌食被写体であるGOMAさんのディジュリドゥの演奏がド迫力で、踊らずにはいられない。でもコレ映画だし...。とは言え、座席がもう邪魔でしょうがない!なんだかしれっと座ってみてるこっちが間違ってる気がする。映画がライブに肉薄する。松江監督は下手したら映画そのものを破壊しようとしてるのではないか?とも思ってしまいました。


とかく今作は「3D」と云うものが画期的という評価を受けてると思うんですよ。確かにドキュメンタリーで3Dってねえ...。しかしながら観れば「なぜ今作が3Dで作られたか」なんて一目瞭然。GOMAさんは記憶を失うという大変な事故に遭われて、記憶を大部分失っている訳ですよ。この映画を撮った事すらあんまり覚えていない。ワタシはこの映画を観るまで気付きませんでしたが、「記憶」って「時間の概念」がベースにあるんですよね。つまり「記憶が無くなる」=「時間の概念が無くなる」と云う事で。松江監督はこの「時間の概念」を「3D」という最新の映画技法を用いて表現しているのです。これが非常に解り易い。画面の一番奥がGOMAさんの過去。手前でメンバーと一緒に演奏しているGOMAさんが今作を撮った時点での現在。言わばスクリーンにレイヤーをかけた状態。このアイデアの何が優れているか?って、レイヤーの一番手前に来るものがワタシたち「観客」である、と云う事ですよ。「観客」を前にして初めてこのレイヤーが完成する。なぜなら観ている我々は映画そのものにとって「未来」の存在だから。このように「過去」「現在」、そして「未来」が劇場内で一体化するというこのアイデアは、数多ある「3D」映画に於いて、全く別の、新しい概念の技法が発明されたと云う事に他ありません。


また、とかく今作は「3Dとドキュメンタリー」という珍しい技法の点ばかりクローズアップされますが、実はもう一つ実験されている部分があって、それは「アニメとドキュメンタリー」という点。今作では主にGOMAさんが事故に遭われた日のシークエンスでアニメが使われていますが、この使い方が見事です。そもそもアニメとドキュメンタリーなんて相性悪いように見えますが、世界を見てみれば実は相性がものスゴく良いんですよね。「気付いているクリエイターは既にやってるぞ」ってなもんで。この技法を上手く使っている邦画としてはトップクラスに早いのではないでしょうか。まあ、特に事故〜臨死体験のシーンなんて、リアルに描いてもねえ...。アニメを使う事で「現実ではない、どこか全く違う世界」と云うのが上手く表現されていたと思います。


あと、やっぱり「人間て不思議!」って事が否が応でも見せつけられますよ。なんでGOMAさんが事故に遭わなければいけないんだ?とか、記憶が無くなるって...とか、記憶が無くなってるのにディジュリドゥを吹いて演奏してみると身体が覚えていたり...とか。今作はGOMAさんが24歳でオーストラリアに渡るシーンからスタートしますが、ホントなんでこんな事に?という疑問、怒り、哀しみなど、観客の色々な感情を揺り動かされてしまいます。もちろんこの作品を作るにあたってGOMAさんも相当の覚悟があった事でしょう。己の全てを曝け出さないと良い作品に仕上がらない。特に監督は常に被写体と真剣勝負を仕掛けるツワモノ。果たして素晴らしい作品が出来上がったと思います。この映画に関わっている人たちのエネルギーがしっかりと映像に映っている。その熱意、覚悟が充分に伝わっただけでも満足です。


前述の通り今作を二回観ている訳で、最初観た時はアニメパートがあるGOMAさんの交通事故のシーンにすっかりやられてしまった訳ですが、2回目をちゃんと観てみると、グッとくる場面が事故シーンよりも次の「I belived the future」の件だったんですよ。
演奏をしているシーンに於いて、映画冒頭からそれまで薄目を開いて演奏をしていたGOMAさんがこの「I belived the future」からハッキリとこちら側、観客の方を観て演奏をしてるんですよ
なるほどこの映画は、映画でありつつGOMAさんの記憶をきちんと形として保存した「記憶」=「メモリーズ」だったんだと云う事をココで気付かされる訳です。


GOMAさんのカメラ目線は、未来にこの映画を観るGOMAさんに向けたメッセージ。


この時点でもドキッとしてしまったのですが一番感動してしまったのは最後の最後、メンバー紹介の後にスクリーンいっぱいに出るテロップこの映画そのものがこの映画について自己言及している。映画のタイムカプセル化。そして、このテロップで「ああ、ボクはライブでは無くて【映画】を観ていたんだ」と思い知らされたのです。そしてそのテロップは松江監督のGOMAさんに対する優しさであり...。最後に何が出るかは是非劇場で確認して頂きたい。


エピソード自体で考えればフジテレビ系の「ザ・ノンフィクション」みたいな作りが出来ると思います。しかしながら今作は、あらゆる映画技法が上手い事機能している素晴らしい「映画」だったと思います。3Dで観るに越した事ないけど、選り好みして結局観ないなんてもったいない事するくらいなら2Dでも問題ないと思います。3Dだろうが2Dだろうが伝わる思いはきっと同じ。残念ながらもう終わっちゃいますが、観る機会が出来たなら是非!のオススメ映画です。



【おまけ】
GOMAさんの事故後、初の復活ライブ!
譜面台にある紙にグッとくる!
http://www.youtube.com/watch?v=0Wp8rGtb_cY&t=2m50s


※本文から漏れた感想

  • いつもの映画館と違った客層に感じた。お子さん連れの方とか居たし。
  • 3Dでやるディゾルブってたぶん初めて観た。
  • 予告編の編集もスゴく良かったと思う。アレ観て本編観たくなった。
  • 恐らく過去を表現した後ろの映像の方が数倍時間がかかっていそう。あと、GOMAさんがご自身の過去の映像を大量に持っていたから成立した映画でもあるなあ、と。
  • GOMAさんの音楽は中毒性があってヤバい。生にも死にも直結してしまう楽曲ってのもヤバい。魂を持って行かれそうになる。
  • うちの甥っ子(5歳)にGOMAさんの楽曲聴かせたら「なにこれおならみたい!」と言いつつもすげえ踊ってからやっぱりヤバい。

「あるいは佐々木ユキ」

中央自動車道を都心から八王子方面へ。調布基地を追い越して、右に見える競馬場。左はビール工場。更にちょっと行くと、高速道路上の空を横断して可愛らしいモノレールが走っています。今回はそのモノレールも重要な役割で出てくる謎の映画「あるいは佐々木ユキ」の感想です。
【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

中華料理店、花屋のバイトや探偵のアシスタントをしながら、東京の郊外に暮らしている20歳の佐々木ユキ(小原早織)。詩人・文月悠光の朗読を聞いたのをきっかけに、彼女は自分の過去を振り返り、現在の気持ちを見つめるように。やがて、何を求めて生きているのかわからなくなりそうになる。そんなある日、アパートの帰宅したユキはもう一人の自分である佐々木ユキb(川野真樹子)と遭遇。何となく正月を一緒に過ごすことになるが、ふとしたことけんかをしてしまい…。

【予告編】

以下、感想です。







なんといっても全篇に渡って澄み渡る綺麗な空気が心地良いです。空気も映像化出来るもんなんですね。冬の晴れた日の朝のようなキリッとした空気が伝わってきました。舞台は立川という事で前述のモノレールが出てくるんですが、多摩地区のモノレールってのは中央高速の上空を横切るくらい、普通の電車やモノレールよりも高い位置で運行されてんですよね。しかも「電線等、車窓を遮るものが無い」とか、「揺れが少ない」とか、色んな要素が客観的な目線を生み出しているというか、まさに「妖精の視線」なんですよ。ふわっとした感じで上空から街を覗く。どこかここには居ないような雰囲気の不思議なキャラクター、佐々木ユキが乗る乗り物にピッタリだったと思います。


映像は見事に「冬の空気」を表現していましたが、他方、佐々木ユキを巡る「詩」の数々はどうか。


詩については馴染みがないもんでよくわかりませんが、パッと思い浮かんだのが立川談志の「イリュージョン」という考えでした。言葉は脈々と作品に残っているのに、どこかそれぞれが微妙に噛み合っているような噛み合っていないような。訳のワカラナイ言葉の羅列が続きます。ナンダカワカンナイ。(すいません、ボクにはそう感じました。)しかし、この言葉の羅列が絶妙に可笑しいんですよ。「変」って意味じゃなくて「面白い!」という意味で。現実とはかけ離れまくっている言葉たちを独特の手法で繋ぎあわせていく。この繋ぎ方に面白さを感じる訳です。
ちょっと具体的には説明が難しい、と言うのがこの映画の魅力。実際、この感想を書くのに3日以上かかっているんです。ドコがどう面白かったのか、言葉にするのが大変。でも「満足!」だった事には間違いない訳で。ワタシの拙い言葉を振り絞って言えば、「『日常』の中に未知なる世界を見出す事は可能なのか?」という事に果敢に挑戦していた作品だったと思います。とかく映像と云うものは新しい「現実」を発見できるシロモノですからね。観客の触覚を刺激する作品だと思いました。


ただし、ワタシ自身、今の時点でこういう映画を求めてないのでそんなには刺さらなかったと言うのが本音です。今作が2011年の冬、あの日の前に撮影された事もあるせいなのか、やっぱりどうしても「震災前」の世界観/価値観を思わせるんですよ。あの地獄みたいな地震津波の映像を観た上だと、今作には「あー、震災前ってそういやこんな感じだったなあ...。」といったノスタルジーを感じてしまいました。画と詩のコラージュもそれぞれ美しいので良いんですが、今のワタシの余裕の無い心で観ると「ずいぶんと呑気な話」に映ってしまったのも残念なポイント。画の美しさに言葉が邪魔だし、言葉の威力に画が弱い。コラージュじゃなくてそれぞれ別々だったら楽しめたかも。


しかしながら今の自分にハマらなかっただけで、また違うタイミングで観たら評価はもっとガラリと変わると思います。むしろ「今後の自分に必要になる」作品となる気もスゴくしているんですよ。それと同じでこの映画は、誰かには「傑作だ!」と言わしめるクオリティの作品には間違いありません。ふっと空いた心の隙間にぴったりとハマる良い作品だと思います。観て損はありません。ポレポレ東中野では今週末までやっているみたいですからご覧になる方はお早めに!




【おまけ】
立川談志の【イリュージョン】と云えば「松曵き」と「談志 円鏡の歌謡合戦」。




※本編から漏れた感想
-2人カルタは、もはや作業!