「ハメ撮りの夜明け 完結編」「セックスと嘘とビデオテープとウソ」

今回取り上げる作品は、前回感想を書いた「童貞。をプロデュース」の松江哲明監督が作ったAV(正確にはCS放送作品)と、その後日談のような作品の2本。

【解説】※先日渋谷オーディトリウムで上映された「松江哲明グレイテストヒッツ1999-2011」のチラシより引用。

「ハメ撮りの夜明け 完結編」
CS番組として製作された、カンパニー松尾監督率いるAVメーカーHMJMをめぐるドキュメンタリー......のはずが、いつしか焦点は松江のハメ撮りデビューに。そこにプライベートの恋愛模様も絡んできて、さあ大変。恋愛とハメ撮り、そして肝心のHMJMの未来やいかに!?

写真などはコチラで。

セックスと嘘とビデオテープとウソ」
松江と彼をめぐる女性たちとの関係を虚実不明のままアブストラクトに構成した、衝撃のセルフ・ドキュメンタリー。「ハメ撮りの夜明け」後日譚としての位置づけも。自らの"生"と"性"を冷徹に見つめるカメラ・アイは、明治に誕生したこの国の私小説の最新型のごとし。

以下、感想。







この2作品。率直に言ってつまらんのですが、ただ「つまらん!」と言えない自分もいる訳で。この2本は感想に困っております。何がつまらなかったのか、何で「つまらん!」と言い切れないのかってのを書きながら考えてみます。今回に限りネタバレしますのでお気をつけください。




まずは「ハメ撮りの夜明け」から。
この2作品を引用にも使わせて頂いた「松江哲明グレイテストヒッツ」で初めて観たんですよ。まあ、AVって映画館で観るもんじゃないね。というよりも、ひょっとして人のセックスって一歩引いて観たら実は面白くないんじゃないかという気もしたんですよ。この作品で女性は5名出てきます。カンパニー松尾監督の作品に出たいと応募してきた「熊本の女」と「京都の女」。AV女優の武田まこさん。松江監督の彼女。そして松江監督が大阪で知り合ったという女。松江監督の彼女と大阪の女以外の女性はカンパニー松尾監督とその弟さんがハメ撮りをします。自分で「淫乱です!」と言っときながら実は性の知識があまりなく何で出演を希望したのかわからない「熊本の女」。実際に淫乱、のように見える「京都の女」。AVを天性の仕事だと楽しむ武田まこさん。ハメ撮りはSEXをするまでのインタビュー部分も監督が撮り、インタビューにもSEXシーンにも女性の個性が出るから面白いのですが、いかんせんSEXシーンが長いのです。当たり前ですよ、AVなんだから!それにSEXのシーンがあってこそのインタビュー部分なんですけどね。映画館で観ると長く感じるんですよね。
「京都の女」パートでは松江監督と京都の女が二人きりになり、松江監督はかなり攻撃的な前戯を始めます。まあ結局前戯だけなんですけど。なぜなら松江監督曰く「ハメ撮りデビューは一番好きな人を撮りたいから」だそうな。で、後のSEXをカンパニー松尾監督に任せちゃう。
まあこの理屈っぽさよ!しかもその理屈の割に汗だくじゃねえか!でもこのシーンは「童貞。をプロデュース」にも繋がる良いシーンだな、と。あとモテキ」のアイツって実在するんだなって事がわかりました。
紆余曲折あって松江監督は5年間付き合った彼女と別れ、前から惹かれていた「大阪の女」をハメ撮りに出演してもらうために説得します。「顔がわからなければ良いよ。」と、泣きながら彼女。松江監督初のハメ撮りへ。
まあ、デビュー作だからしょうがないんだけど正直あんまりちゃんと映ってないんだよね。思い入れはわかる。でも画がしょぼい。作品全体を考えると尻すぼみ。さんざん煽っといてなあ...と思いつつ、こんなもんだよねとも思う。そんな作品でした。
でもまだこっちの方がマシなんですよ。


次に観た作品が「セックスと嘘とビデオテープとウソ」。
これには参った。参り過ぎてあんまり憶えてないってくらいのもんで。たしか「大阪の女」は出てきたな。あと「女友達」ってのも。松江監督のお母さんとおばあちゃんも出てました。松江監督を中心として関係のある女性たちを描いた作品、だと思う。基本的に誰が出てるかよくわからないんですよ。顔が出ないから。もっと出てたかもしれません。結果とっちらかって終わります。かなり難解な作品です。松江監督って結局誰とセックスしてたんだ?でも只一つだけ確実にわかる事があるんですよ。それはラストカット。「ニヤニヤした松江監督に(たぶん)クンニされてるところを撮られ、『怒り』と『哀しみ』と『蔑み』と『恐怖』が入り交じった形相でカメラを睨みつける全裸の女性がいた」って事だ。あの顔は衝撃的。女性ってあんな顔するの?ってゾッとするし、よくもまあその画を使いますわ。唯一はっきりと映るこの誰だかわからない女性の顔が、「なんだこりゃ?」という映画全体の空気を一瞬で不穏な空気に変えて終わるというとんでもない怪作なのでした。


この2本観て色々思ったんですがね。


松江監督は自分を映画の主役にすると面白くないのですよ。
松江監督ってのは「ライブテープ」に於ける前野健太だとか、「あんにょん由美香」に於ける林由美香だとか、「童貞。をプロデュース」に於ける加賀クン、梅ちゃんだとか「対象となる人物」が誰かいて、その人物に松江哲明の思いを全力でぶつけ、結果的に反響してきたモノを描くのが上手い人のように思えます。松江監督が影響を受けているとおっしゃってた「監督失格」の平野勝之監督とはやはり良い意味で違うんですよ。平野監督は反響してきたモノを受け止めた自分を描くのが上手い人。同じアプローチのようですが表現するモノが全く違う。それはもう松江監督の個性なんですよね。
松江監督の撮るSEXシーンがエロくないのもそのあたりにあるんじゃないかなあ...。カンパニー松尾監督の撮る画は純粋にエロ(とカレーライス)が好きで、ちゃんとエロく見える。それに対し松江監督の画は「エロ」と「映画」が半分ずつ好きみたいな中途半端な感じに見えてしまうのです。
エンディングノート」とは逆のパターン。松江監督は徹底的に誰かに何かをやらしてナンボ。カメラの外から被写体を追い込んで方が合っている気がしました。そういやデビュー作の「あんにょんキムチ」なんてモロに監督が主役じゃねえか!と一瞬思いましたが、ありゃ爺ちゃんが主役だ。
あと松江監督って基本的にサービス精神は無いよね。
童貞。をプロデュース」が一番ポップな作品だと前回書いたけど、あれが一番サービス精神に溢れてて、だからあんなにハッピーエンドで終わるんだと思うんですよ。「童貞。〜」は監督の職人肌が光った作品で、作風にしては実はちょっと異質。松江監督の映画として考えれば「セックスと嘘とビデオテープとウソ」みたいなのが正解。根本に流れてるのは「あなたを通して私を見る」という事。「セックスと〜」が「童貞。〜」の直後に作られた作品だってのもなんかわかりますよ。「ホント」と「ウソ」のバランスが崩壊している。間違いなくわざとだと思う。「童貞。〜」でそのバランスがムチャクチャ上手くいっちゃったもんね。たぶん一度バランスを崩したかったんでしょう。心地よさが観客ではなく監督自身に向いちゃってる。心地よさに対する客観性を無視。まあ、困るのは心地よさが共有できない観客ですけどね、「作りたい」という気持ちはわかります。自分の撮りたいモノを撮る。作家としては理想的な考えだと思いますよ。


しかし、何でこんなあんまり面白くない映画の感想を書くのか。結局、両作品とも「是非一度観てもらいたい!」からなんですよ。こういった作品がある。でボクはこう思った。「無い」という事にはしたくない。今回はたまたまボクが合わなかっただけで、誰も知らずに埋もれてしまうような作品ではないという事です。もちろん両作品とも「良いシーン」がいっぱいあるんですよ。「ハメ撮り〜」で、大阪の女を迎えに行く朝焼けの車窓のシーンとか。「セックスと〜」で、母親にエゴサーチされてビビる監督とか。「いやいや!観たけど面白かったよ!」っていう人を見つける為に、というか、人はそれぞれ違うもんだっていう事を再確認したいからって事かも知れませんねえ。



と、なれない事を書いてみたところで次回が「ドキュメンタリー10番勝負」最終戦
ラストは過去9本をまとめたような、ラストにふさわしい作品。






※本文から漏れた感想

  • 顔面晒せないなら「出すな」って話なんだよね。
  • 松江監督作品で「カレーライスの女たち」っていう映画があって、こっちもまあぶっちゃけそんなに面白くないんだけど、その中に登場する女性が「セックスと〜」に出てるような気がしてまたドンヨリしたのと同時に、よくよく考えたら何でこんな他人の女性遍歴まで細かく見てるんだろうなあ...という気分になってしまいました。
  • メシ食うときはやっぱり香港映画観るよなあ。これはMrBooだったけどボクはいつもカレー食べながらジャッキー観てたわ。