「トーキョードリフター」

松江哲明監督の2011年は、かなり飛躍の年だったんじゃないでしょうか。「DV」の製作・発売。特集上映の公開。本の発売。中でも一番の収穫はこの作品が作れた事だったかもしれません。今回は最新作「トーキョードリフター」の感想です。


【イントロダクション】※公式HPより引用

2011年 元気も出る映画 ナンバー・ワン!

2011年5月。東日本大震災後、ネオンが消えた東京の街
降りしきる雨の夜をミュージシャン・前野健太が歌い、叫び、さすらってゆく。
濡れたアスファルトにありったけのユーモアとペーソスを刻みつけながら、新宿、渋谷、そして街の外へ −

監督は『あんにょんキムチ』(99)以降、『童貞。をプロデュース』(07)、『あんにょん由美香』(09)など独特のアプローチで個人と時代とをつなぎ、 ゼロ年代のニッポンを映し続けてきた松江哲明

「いま、この東京の姿を記録しておきたい」と、どしゃ降りの雨のなか撮影を敢行。第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞した『ライブテープ』(09)につづき、撮影に近藤龍人(『海炭市叙景』『さや侍』)、録音に山本タカアキ(『SR サイタマノラッパー』)。

そして、完成したのは松江哲明監督作品史上もっとも瑞々しく、もっとも暴力的な映画だ。見えない放射能の影に怯えながら、モヤモヤしながら、揺れながら。それでもこの街で生きていく私たちのいま。2011年12月、この街の夜は『トーキョードリフター』とともに明けるのだ

【予告編】


以下、感想です。





端的に言って松江哲明監督作品の中で一番カッコいい作品だと思いました。
オープニング。新宿とか渋谷とか繁華街で耳にする屋外広告トラックお馴染みの曲。そして浮かび上がるタイトル。そのフォントを選ぶのか!という心意気に映画の冒頭からワクワクしてしまいました。
男が一人、東京の街を歌いながらさすらう。説明は一切無い。ただそれだけの映画なのに面白いのです。なぜなら、行動としてはシンプルですが、その行動を映像・構成・編集・音楽といった「映画」にできる事すべてを駆使して「2011年」というムチャクチャな年をちゃんと描いているからです。


まず、あの時の東京は本当に暗かった。「まあしょうがねえよ」っていう気持ちと「たまにはこんなのも良いんじゃね?」っていう気持ちが半分ずつあった、そんな時期。とにかく日常と違ったんですよ。こんな時に聴く前野健太の曲は街に映える。それは「ライブテープ」で充分すぎるほど気づいた事。ボク「ライブテープ」の感想で当時こう書いてるんですよ。

元旦の街並みという「非日常の風景」に、歌いながら移動するという「非日常の風景」を重ねて映画にする。そして前野さんが歌うテーマは一貫して「あなたと私の日常」。この対比は凄い。

これって、つまり「ライブテープ」と今回の「トーキョードリフター」ってまったく同じ構造なんですよね。
ただ、2009年1月1日と2011年5月27日とでは状況が一変しており、「非日常の風景」の意味が違う。多幸感あふれる日と明らかに異常事態が起こっている日。
でもやっぱり前野健太の曲はまったく変わらないんだよね。「あなたと私の日常」。
音楽っていうのは本当に強いものなんだという事を再確認させてもらいました。しかしながらなぜか「ライブテープ」と「トーキョードリフター」では明らかに違う。何が違ったって「聴いてる我々の心情がガラリと変わってしまった」って事。前野健太の曲は一貫しているけど、3.11を体験してしまった後で曲を聴く我々が変わってしまった。この変化がまさに2011年そのものだと思うのです。で、この映画は「変わらないもの」と「変わってしまったもの」をちゃんと表現したかったのではないかなと思いました。


街灯が消えた真っ暗な住宅街で口ずさむ程度で歌ったり、「がんばろう日本!」とステッカーが貼られたタクシーとバイクで並走したり、節電のために看板の電気を消しているセブンイレブンの店先で歌ったりと、この映画には「あの時の東京」を簡潔に伝える映像で溢れています。しかしながらその映像は、時にピンボケしたり、時に見失ったりする。夜と雨と少ない街灯でDVなのに粗い。この粗さが「あの時の東京」の空気をちゃんと保管し、「たまにはこんなのも良いんじゃね?」と思ってた気持ちを見事に表現していると思いました。
すごく良いシーンだなと思ったのは「渋谷:H&M前から109を抜けて渋谷駅までのワンカット」
大きな声で「ファックミー」を歌うころはまだ明るいのですが、109前に近づくといよいよ雨も強くなり、街灯の暗さもあいまってぼんやりとしてくる。
向かうはスクランブル交差点を抜けた駅前の広場。渋谷の中心。
109から渋谷駅まで。「国家コーラン節」という明るい曲を歌いながら歩く前野健太
その淡い画にどんどんと引き込まれてしまいました。この明るい曲で暗さの深遠まで向かうぞというドキドキした気持ち。このシーンは前野健太がまるで「暗闇」と対決する為に死地に向かうようなカッコよさがあり、名シーンでした。

このように、画は「印象」を捉えようとしていました。他方、音については「写実」を目指しているようでした。

音については確実に前野健太の曲を保管していましたよ。途中、前野健太が歌いながら踏切を渡るんだけど、その踏切音が一切カットされている前野健太の曲のみがちゃんと聞こえる。サラッと流しがちだけど音に関してもかなりのクオリティがある映画だと思います。


「画」と「音」がそれぞれこの映画でやるべき事を完璧にやりきったっていうシーンが、ラスト、前野健太が「トーキョードリフター」を歌うシーンだと思うんですよ。ネタバレしちゃうんで書きませんが、「画」が「印象」をとことん突き詰めるとああいう画になるだろうし、「音」はそれに見事に答えていたと思います。それにこのシーンは非常に松江監督らしいやり方だとも思いました。ま、前回書いたけど基本的にサービス精神は無い方と思ってますから。言い方を代えれば観客に考えを一方的な押し付けをしたがらないという事ですよ。「自分はこう思ってるんだけどどう思う?」という映画を作る人。で、このラストは「どう思う?」って観客に聞いてるんだと思います。だから賛否両論あって当然。つか、そもそも松江監督の作品が万人に受け入れられるつくりをしていない。ボクの答えは最初の通り。「すげえカッコいいよ!」


ラスト、朝を迎えてこの映画は終わるのですが、前日からの小雨のせいもあって曇りなんだよね。映画的に考えたら「綺麗な朝日」があがってオシマイ、ってのが正しい。でもこの映画に関して言えば、結果曇っちゃった朝って言うのが一番この映画らしいと思うのですよ。この映画を撮影した日が全てなので曇りなら曇り。それに綺麗な朝日があがって終わりなんてダサいですよ。世の中、光があって陰がある。真ん中の曇りくらいがちょうどいいですよ。それに曇りでも「あたらしい朝」には間違いないもんね。


やっぱり松江監督は他人を動かしてナンボの人だと思う。前野健太さんにはかなりの負担をかけているし、撮影に対しても録音に対してもかなり無茶な要求をしている。もちろん観客に対しても。だからこそ面白い映画が撮れるんだと思うし、心に残る作品が多いのだと思いました。
それぞれの役割が見事に機能したこの映画。
【2011年って大変でしたね。来年もいろいろあるかもしれないけど、まあ「生きていかなきゃね」】と、宣伝通り「元気も出る」映画なのでした。




【おまけ】
「DV」予告編より 前野健太「ファックミー」

これを渋谷のH&Mの前で歌ってんのよ!

DV [DVD]

DV [DVD]



※本文から漏れた感想

  • 観終わったときに「よくぞ撮ってくれた!」と思ったんですよ。東京で生活してる人間からすれば「東京なんてこんなもの」なのです。「SRサイタマノラッパー」でも「サウダーヂ」でも憧れの街「東京」なんて描かれてますが、どこ行ったっておんなじなんですよ。で、こんな場所なんだけど、みんな住んでる場所が好きなように我々もこの街が好き。そんなこともわかる映画。
  • 映画の冒頭、前野健太が歌う場所って「太陽を盗んだ男」でジュリーが朝、ランニングで通る交差点なんだよね。偶然だかなんだかわからないけどグッときた。
  • この映画、東京国際映画祭で観ました。上映終了後、ロビーに松江監督がいらっしゃったのでご挨拶させていただいたりして。映画の感想はだいたい帰りの電車で考えてるので観終わった直後ってたいしたこと言えないんですよ。で、なんか言わなきゃいけないと思ったので「ブレードランナーみたいでした!」とそれなりの感想を述べるに留まるっていう...。
  • でもその後に「冒頭のあの俯瞰、××××××のアソコから撮ったんですよね?」と何の気なしに聞いたら監督、頑なに口を閉ざしたよ。この件で「この監督、信頼できる!」と思いました。誰ともわからんやつにゲリラ撮影の場所をバラさんわな。