「隣る人」

なにしろドキュメンタリーが好きなもので、この映画も結構早い段階から認識していまして。
観に行ったところ、期待通りどころか、むしろ期待を遥かに超えた作品だったので遅まきながら感想を書きます。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

保育士のマリコさんは、地方にある児童養護施設でムツミとマリナの親代わりとなって寝食を共にしている。そこではやむを得ない事情から親と同居できない子どもたちが住んでおり、ときどき二人はマリコさんをめぐってケンカをすることもある。そんな折、ずっと離れて暮らしていたムツミの母親が、もう一度子どもと暮らしたいと願って施設を訪れる。

【予告編】



以下、感想です。




この映画の事が新聞に載っていて、母に「この映画ムチャクチャ面白いよ!」となんとなしに話したところ、「へ〜、そうなんだ。そういうところって可哀想な子が行くんだよね。」という返事が返ってきましてね。こう言った母に「悪意」なんてのはさらさら無くて、ただナチュラルに思った事を言ったんだけだと思うんですよ。要はコレくらいが「児童養護施設」に対する世間の認識なんじゃないですかね。両親と離ればなれに暮らす子がいる、と。そこには「両親と離ればなれに暮らすなんて可哀想。」という文脈が深層にある、と。


しかしながら、この「隣る人」にはそういう既存の概念とは全く違った風景がありました。


舞台の「光の子どもの家」は、職員と子どもが一緒に暮らしています。そこにまず驚かされるんですよ。夜明けから朝食の準備。みんなで食事。それぞれの学校へ手を振って送る。一連の流れはまるでスタジオジブリの作品(「コクリコ坂」とか)のようで、開始冒頭から一気に惹き込まれました。


構成は元気なむっちゃん、おっとりとした性格のマリナ、そしてその二人を担当するマリコさんを主軸に進みます。むっちゃんマリナの二人の、仲が良いんだか悪いんだかの関係性がなかなか面白い。基本、二人して始終マリコさんを取り合うっていう。マリコさんの事が大好きすぎるんですよ。好きで好きでたまらない。対するマリコさんもそれに充分に応える。このお互いを思う気持ちが画面からドバドバと溢れてくるようで、なんて幸せな関係なんだ!と、観てるこっちも幸せな気持ちになってきましたよ。


むっちゃんマリナの二人だけしか出ない訳では無くて、他にも2歳にして既にワイルドな顔つきのコウキや、とにかく甘えん坊のマイカちゃんも出てくるんだけど、それぞれのエピソードもそれぞれグッとくるものがあり興味が尽きません。特にこの映画で一番ショッキングなシーンは、マイカちゃんとその担当マキノさんの別れのシーン。紆余曲折がありながらも相思相愛の関係まで作れた二人だけど、施設内の配置換えという事でマキノさんが「光の子どもの家」を出る事になってしまいます。強制的に別れるハメになった二人。別れの当日、離れるのが嫌で「ママーーー!」と絶叫するマイカちゃん。あまりにも哀しすぎる現実。一番大事な人を奪われる瞬間。痛々し過ぎて観てられませんよ。このシーンにはどんなに「光の子どもの家」が良い施設でもやっぱり「施設」であるという現実と、子どもにとってはかけがえの無い場所であるという「理想」が見事に交差した素晴らしいシーンだと思います。そしてそんな絶叫&号泣するマイカちゃんをみつめるむっちゃんの表情がまた良いんですよ。ボクにはボキャブラリーが少ないんでどうにも表現できないのが歯痒いのです。むっちゃんの表情は凡百の台詞より。数多ある音楽よりも雄弁でした。


個人的に一番好きなシーンはむっちゃんとむっちゃんのお母さんの出演している部分です。むっちゃんのお母さんが突然施設を来所。突然の事にビックリしてもじもじするむっちゃんと、そんなむっちゃんのリアクションに困ってしまうお母さん。むっちゃんはドアの鍵をガチャガチャ。むっちゃんのお母さんはタバコを一服。その姿がどうしてもそっくりなんですよ!離れて暮らしていてもやっぱり親子なんですよ!親子が照れと戸惑いで距離感を計りかねてる姿がどうにももどかしいし悩ましい...。親子なんですけどね。上手くいかないもんですね。
そんな親子をバックアップしているマリコさんが食器を洗いながら「子を育てる」という事の辛さと喜びについて語っているシーンがあります。この映画のキモだと思っております。是非この内容はスクリーンで観て頂きたいところ!


「両親と離ればなれに暮らすなんて可哀想。」
いや、ベタな一般論ではそうかもしれないけどさ。各家庭の各事情をそれぞれ考えたら決して当てはまる意見では無いんだよね。
どうしても一緒に入れない親子がいる。
お互いの為に離れて暮らした方が良い親子がいる。
でも哀しい哉、やっぱり「誰も一人では生きていけない」んですよ。
人の気持ちがわかる人間になるには誰かが横にいなければならない。その行為を「助ける」というには大袈裟。「隣る」くらいが良い。「育てる」という言葉もあまりあてはまらないような。日常を丁寧に積み重ねる。「光の子どもの家」の活動からそんな事を感じました。そしてこの映画。児童養護施設を扱った作品でありながら、観終わって残るのは「何気ない日常の美しさ」「普段使っている言葉の尊さ」でありました。


ここでちょっと俯瞰して考えてみます。


この「隣る人」という映画はゼロ年代から震災を経た今、この2012年におけるドキュメンタリーの極点だと思っているんですよ。

血の繋がらない大人と子どもの新しい関係性。この「光の子どもの家」の理事長である菅原哲男さんはそれを「血より濃い水の関係」とおっしゃっていましたが、この考えは昔からある、しかしながらなかなか実践しえなかった新しい秩序だと思います。
もともと存在していたのにも関わらず、社会はこの自然な存在をクローズアップしてこなかった。メディアはこの件を「問題」として取り扱うけど、この映画はそれすらも放棄しているようです。音楽やテロップ、ナレーションを一切排除した作り。その分、そこにある暖かさや匂いを届けようとする試み。

そっと寄り添う。

映画自体がこの「光の子どもの家」という施設の方針を体現しているのです。


また、この10年くらい主流となっていた「セルフドキュメンタリー」に対するカウンターとしても非常に優れた作品なんですよね。
元々ドキュメンタリーの主流であった「暮らしながら撮る」みたいな、先に被写体との関係性を構築しておいてから自然な姿を撮るスタイル(小川紳介監督とか佐藤真監督とか)があって、そのカウンターとして「一回性」のスリリングさを狙ったスタイル(原一男監督とか松江哲明監督とか)がある。特にここ最近は被写体との関係性を構築する手間を省く一番良い方法として、監督自身が被写体となるスタイルのドキュメンタリー映画が数多く作られてきました(「一回性」のスリリングさの極北のドキュメンタリーが「ハメ撮りのAV」だと思ってんですけどね)。
この「隣る人」は原点回帰というか大きな揺り返しというか、「人間関係を構築した上で作品を作る」という、非常に丁寧な、そして最も手間のかかる手法を改めて用いています。そうしてできあがったこの作品は、やはり手間のかかっている分、画の力が強いのです。


別に【「一回性」のスリリングさ】を求めた作品が悪いと言っている訳ではありません。ボクはむしろそっちの方が好きでドキュメンタリーにはまりましたから。実はこの「隣る人」にもそんなスリリングなシーンがあるんですよ。この点に置いてもこの作品が素晴らしいなあと思う点でありまして。上映後にロビーでこの映画のプロデューサー兼構成、そして撮影を担当された大澤氏からお伺いした話によれば、むっちゃんがカメラに向かって悪態をつく「ブランコ〜すべり台のシーン」と「夕方のアナウンス」のシーンは刀川監督ではなく、大澤氏が撮っているとのこと。なるほど確かに大澤Pは長い事取材をされていた監督とはむっちゃんとの関係性が薄い。知らないお兄さんが撮ってるからむっちゃんもあんなにカメラに悪態をついていたのか!
しかしこの「悪態をつくむっちゃん」というシーンがあるからむっちゃんの事を愛しく思えるのであって、長い取材で関係性を構築した上で撮影されている作品でありながら、同時に【「一回性」のスリリングさ】も併せて効果的かつ見事に活用された稀な作品であると感心してしまいました。


監督(兼、被写体)のプライベートで大事な部分を血ヘドが出るような思いで作り出した去年の傑作監督失格や、【「一回性」のスリリングさ】という事に極限までこだわった傑作「ライブテープ」とはまた違ったアプローチ、それでいてこれもまた傑作の「隣る人」はこのテン年代のドキュメンタリーを方向性を照らす灯台のような作品になるだろうと思います。


今後DVDになる事はないそうですがこれから全国に展開されるそうで(2012年6月現在)、後は自主上映会もお願いすればできるとの事なので、この作品は親子の関係に悩んでいる方とかドキュメンタリーが好きな方とか、いろんな方に是非とも観て頂きたい。そんな作品です。





【おまけ】
この「隣る人」観てこの映画のラストカットを思い出しました。
知ってる人はピンとくるはず!
誰も一人では生きられない。





※本編から漏れた感想

  • この作品は円環構造になってるので最後の最後まで席を離れない事をお薦めします。構成が上手いんだわ。
  • むっちゃんとお母さんのあの距離感はフィクションでは絶対作れないなあと思った。
  • 監督が「面白い!」と思った部分とボクが「面白い!」と感じた部分がより重なりました。
  • 映画内に出てくる「キーワード」が先行して、画が後からどんどん繋がっていくという構成が見事。
  • 夜、子どもたちが寝るシーンは映画「アヒルの子」の小野さやか監督が撮影していたとの事。たしかに女性ならではの視線。納得!