「モテキ」

しばらく患っていたので長い事休みを頂いておりましたがブログを復活させますよ。この半年くらいもそれなりに映画を観てまして、時系列からすると夏前の作品の感想から書いていくべきなんでしょうけど復帰第1回目は「モテキ」の感想です。何しろこの映画、他の作品よりも風化のスピードが早い。こうやって書いている事自体がなんかもう既に周回遅れで野暮な感じがするのです。それほど「モテキ」という作品は同時代性の要素が強い作品だと思ったり思わなかったり。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

金もなく恋人もいない藤本幸世(森山未來)に、怒とうのように恋のチャンスが訪れた“モテキ”から1年後。4人の女の子たちとの関係は終わってしまったが、再び新たな女の子たちが幸世に接近し始め、“セカンド・モテキ”がやって来ようとしていた。



以下、感想...なんですが、これから書く事はネガティブな事ばかりになりますよ。作った人たちと書くボクがお互いに不幸になるなら止めておいた方が良いのですが、あの映画観てぶっちゃけ腹の立った人たちもいるんでしょ?一応その人たちに向けて書きます。「アレってなんかおかしくない?」と思ったところを何点か。ネタバレは思いっきりしてますが...まあ、大ヒット映画という事で、みんな観たよねっていう前提で進めます。あと、「役者が良い!」ってのは他の人が山ほど書いてるので端折ります。
実は二回観たんですよ。最初観た時はストーリーに全く入り込めなくてモヤモヤしてる間に「今夜はブギーバック」がかかってしまいました。この状況で感想を書くと
「いやあ、暇だったんで思わず劇場のスピーカーの数を数えちゃいましたよ。渋谷HUMAXシネマのスピーカーの数は16個でしたねー。」
という、元も子もないコメントになってしまい、それもどうかと思うので2回目は一生懸命観ました。「映画について考える」という事は喜びなので結果的には2回観て良かったです。なんでモヤモヤしたかっていう理由もはっきりしましたし。「こち亀・ザ・ムービー」くらいは楽しめましたし。


なんでこの作品にちっとも入り込めなかったか?
理由はスゴく簡単で、ひとえに「作り手を信頼できなかった。」という事に尽きるのです。
まあ、この文には「(作り手が観客の気持ちとか考えを無意識に安く見積もってるから)」という一言が入るんですけどね。


オープニングから中盤、具体的には仲里依紗が出てくる辺りまでの森山未來のモノローグがとにかくクドいんスよ。邪魔。原作マンガでは気にならなかったんですが、やはり大きなスクリーンで観ると画の情報量が圧倒的に違うんですね。森山未來の演技力が抜群に上手いので、彼の表情や仕草一つで充分「お前の考えている事など言わずもがな」なんですよ。そこに彼が今何を考えているかクドクドクドクドクドクドクドクドと言われてしまうのでものすごく野暮ったい。そこへ心情に合わせた曲をBGMに使っちゃうし、更にテロップまで出しちゃうしね。この過剰な演出は、「いやいやドラマもこういう感じでしたよ」と言われてしまうとそれまでですが、それにしてもバランスが悪過ぎだと思いますよ。これって監督にセンスが無いか、観客を信用してないかのどっちかじゃないんすかね。大根監督にまさかセンスが無い訳が無いので、「まあこれくらい言わないと観客がわからないだろ!」と言われている気がしました。だから1回目に観た時、本能的に離脱しちゃったんだね。良く言やあ「サービス精神旺盛」。悪く言やあ「客をバカにしてる」。わかりにくく言うと「鳥の唐揚げに誰にも断らずにレモンをかける行為を何とも思ってない。」。


この作品の感想でよく話題に上がる「サブカル」「オタク」についてですが、特に「おお!これは!」と唸るような部分も無かったです。ただ情報量が多いだけ。マンガにしてもお笑いにしても音楽にしても、あれだけつるべうちに出てくれば、観客の誰かの心に引っ掛かって勝手に物語を作ってくれますわな。でもそれってユリ・ゲラーの超能力(テレビの前でみんな同時にスプーン曲げやったら何人か曲がったみたいなの)と一緒ですよ。ただそれだけ。ファッションとして、以上の深みとかこだわりが全く伝わってこないのです。幸世ってあんなにマンガとか音楽とか嗜んでるのに、それがあいつの人生に全く生かされてないのな。あの情報量であの浅さは逆にスゴいよ。この映画の細かい「サブカル的なアイテム」は人格形成ではなく、「オレはこんなにいろんな事を知ってるんだぜ!」っていうオレ自慢です。
なんか残念だなあ...と思ったのは幸世が、長澤まさみ演じる「みゆき」と初めて逢って酒を飲んだ居酒屋のシーン。「『進撃の巨人』でこんなに盛り上がれるなんてっ!」ってまたモノローグで片付けちゃってるところ。そこは2人がいかに「進撃の巨人」が好きかって言うところが観たかった。台詞一つで信頼できるシーンに変わってたのにすげえもったいない。
話変わりますけど、タランティーノの「レザボアドックス」ってやっぱ面白かったね。冒頭、マドンナの「Like a virgin」の解釈を延々と語ってるだけのシーンで観客を引きつけるもの。


この作品ではっきりと「だめだこりゃ!」と長さんの顔まねをしてしまったのは、仲里依紗演じる「愛」が出てきて以降のグダグダっぷり。
なんだかんだ言ってオープニングからPerfume登場シーン辺りまでは普通に話は進みます。愛が登場してから物語が迷走し始めちゃうんですよね。愛が幸世に「女性って時間がないんですよ〜」っていう至極真っ当な意見を幸世に言うんだけど、それで愛の出番終わり。ここが1回目に観て一番「謎」だった部分なんだけど二回観てわかりました。このシーンのすぐ後って麻生久美子演じる「るみこ」の一人カラオケシーンなんですね。で、その後るみこの暴走した告白シーン〜幸世とるみこの「勢いだけのSEX」シーンとなる訳ですが、愛の「女性って時間がないんですよ〜」っていう言霊が、愛と一度も会った事の無いるみこ(33)に届き、そのエネルギーが幸世への告白に繋がるのです。何故かはわからん!100歩譲って「愛が言った言葉が幸世の心のどっかに引っ掛かってて思わずるみこに年齢聞いちゃった」って事だと思いますよ。ほら、あと、風が吹けば桶屋が儲かるって言うし...まあ強引だよね。
るみことなんとなくSEXして以降、幸世はみゆきに「るみことヤッたよ。」と手をつなぎながら耳打ちしたり、るみこをかなり乱暴に振ったりと、もはや「主人公」の立場を捨てて完全に「悪役」として動きます。その間、星野源の「ばらばら」という曲がかかっている数分間はこの映画の主役が「幸世」から「るみこ」に移ってしまっています。監督の興味が「幸世」から「るみこ」に移っちゃってるって事でしょう。あんまりいい結果を生まないよね。「るみこが牛丼を食べるシーン」がこの映画で一番納得のいくカタルシスになってしまっていてその後のシーンがココを超えてないんですよ。


実はこれってよくよく考えてみれば重要な問題で、行き着くところやっぱり「モテキ」という作品は原作者の久保ミツロウ先生と大根仁監督の間で認識が違ってたんじゃないでしょうかね。久保ミツロウ先生はなんだかんだ言っても幸世というキャラを連載が終わるまで一度も見捨てなかった。なぜなら幸世は自分自身だから。大根監督はその幸世を悪役に回して女の子たちを光らせた。「狂言回し」と「悪役」は違うからね。一度悪役に落ちたキャラはよほど高い壁を乗り越えないとヒーローには戻って来れないんですよ。この映画にはそれが無く、幸世は「悪役」のままなので、再度みゆきに告白しにいこうが辛い仕事をしようが「どーでもいいわ!」という気持ちになってしまいます。「幸世なんてクズは死ねば良いのにな!」くらいの気持ちで撮るのは違う気がします。他になんと言われようとも監督は主人公を切り捨ててはいかんですよ。しかも「クズは死ねよ!」って思ってるようで完成した映画には「でもオレはお前の味方だよ」みたいなトーンが蔓延してるので始末に負えません。


話をシンプルに考えると【何事も浅くて自分に言い訳ばかりしている男が、(観客が一番感情移入できる)真面目な女と勢いで一発ヤッた挙句乱暴に捨てて、不倫している女を泥の中で強姦する】という内容ですよ。本当にこれで良かったんすかねえ...。ぼかあ幸世というキャラが不憫でならんのですよ。ありゃあ笑わせてるというか笑われてるんです。この作品は、観終わった後にカップルたちが「森山未來の演技が良い!」とか「長澤まさみが素晴らしい!」とか「音楽の使い方が最高!」という会話で酒を飲みつつ、スムースに円山町に足を運べる映画となっているので、幸世の立場を考えるとつくづく可哀想な奴だなあと思ってしまいました。お前のクズっぷりがデートのネタになってるぞ!
重ね重ね久保ミツロウ先生や大根監督はこれで良かったんですかねえ...。客の動員数じゃなくて【この作品を通して言いたかった事がちゃんと観客に伝わってると思いますか?】って事だ。色々苦心して作った挙句、完成して観てみたら「そこら辺に良くあるマンガ原作でテレビ局制作のメジャー映画」になっちゃった。あくまで「20世紀少年」とか「BECK」とかと同じカテゴリーに入る映画であって、決して「監督失格」とか「SR サイタマノラッパー」とかのカテゴリーには無いですよ。


そもそも幸世が「クズ」という事は映画に始まった事では無いです。まだ原作マンガの頃はクズでも可愛げがありました。今回のこの映画は「主人公」ですらなく「ただの悪役」に堕ちる時間がある。やっぱりマンガやドラマで「完結」した話の続きをやるって事自体が野暮だった気がします。少なくとも久保ミツロウ先生はまんまと搾取されちゃったよね。自分の分身が他人にバカみたいな役で撮られて、更に日本中のカップルに笑い者にされてる気持ちをお伺いしてみたいよ。「ぶっちゃけこの映画どう思ってます?」って。出し切ったエネルギーを更に無理やり絞り出したら、作品に対して、他者に対して「愛の無い作品」になっちゃった。唯一あるのが強烈な「自己愛」だけ。しかも誰あろう監督自身の「自己愛」ね。全体的に「幸世」というキャラを徹底的にダシにして監督が自分だけおいしいところを頂いちゃうみたいな空気を感じるのです。人をバカにしたり蔑んだり笑いものにする事で自分のアイデンティティを守ってる奴っているでしょ。この映画を観る限り大根監督にその嫌なヴァイブスを感じました。ラストも笑っちゃうくらいのドヤ顔で終わるし。「オレってやっぱり天才だと思うんだ〜。」みたいな自分の「自己愛」を他人に伝えるってのは難しいですね。こっちだってつまんない奴の「オレ話」聞かされンの苦痛ですもの。




【おまけ】
ただ、色々書いてきましたけどね、全て「この映画が楽しめなかったボクが悪い」のです。会場は2回ともほぼ満席で、上映中は爆笑の嵐でした。メジャーの映画には「観客を映画館に呼び込む」という大命題があるので今後ともどんどん映画を観ない人たちを映画館に呼んできて欲しいもんですよ。
他の方の「モテキ」の感想を読ませて頂いたところ、ものすごい褒めていた方がいてその方の文章が「モテキ」の良さがわからなかったボクでも「なるほど!」と素直に唸ってしまう名文だったので、おまけと言っては非常に申し訳ないんですがご紹介させて頂きます。そもそもボクの感想は構成の部分での話が多くて、登場人物の心情について書いてないのがいけませんよ。

【白拍子なんとなく夜話 -映画「モテキ」感想-】



あー、あと作家先生のサブカル云々からの感想は何言ってるかよくわかりませんでした。


【本文から漏れた感想】

  • 良かった点を書き忘れちゃった。一カ所笑っちゃいました。Perfumeの曲が始まる直前のシーン。森山未來の投げたリュックがたまたま街を歩いていたばあさん(一般人)にぶつかりそうになってばあさんが思わず「きゃっ!」って言うところ。
  • 久保ミツロウ先生がこの映画の原作を書き下ろししたらしいんだけど、どこまで書いたんだろう...。冒頭とかラスト前の告白シーンなんて良いと思うんだけど、本文にも書いた「中盤」が明らかに拙いんだよね。
  • 感想書いてて松江哲明監督の「童貞。をプロデュース」の「1」を思い出した。共通点がすげえ多い。
  • 勝ち負けで言うのもなんだけど、この作品の真の勝者って、難産の末に産まれたこの作品に於いて「モテキ2作りましょう!」って簡単に言えちゃう東宝川村元気Pと、全てのアーティストが本人役で出演しているのにも関わらず、結果的に曲だけ提供して出演していない前野健太だと思うよ。良かったよ出なくて。

  • 映画としては酷いんだけど2011年という時間を真空パックした映画だと思うので歴史的には良い資料になると思うよ。半年後くらいからもう「ウワー懐かしい!つか、だせえ!!」みたいな感じが発酵してくるんじゃないすかね。
  • 渋谷HUMAXシネマのスピーカーの数は16個だが、クーラーの通気口の数も16個だ。