「無常素描」

2011年も師走になり、あっという間でしたがいつもながらに「あっという間」感がハンパ無いのは、みんなで3月11日を経験してしまったからかもしれません。もう9ヶ月も前の話なのに「あの時何をしていたか」ってのがそれぞれ話せる日。エンターテイメントもあの日以来、表現する方も受け取る方も何かが変わった感じがしますが「何かが変わった感じ」が「進化」であると信じたいところ。今回は3月11日を受けて、震災をテーマに撮影し、おそらく「最速」で公開された作品。「無常素描」というドキュメンタリーです。


【解説】※公式HPより引用

そこで出逢ったひとびとは、静かに語りはじめる。一台のカメラが、その声と風景を何度も往復しながら、ただひたすらに素描を重ねていく。監督は、『ただいま それぞれの居場所』で、介護現場のいまと希望を描き、平成22年度文化庁映画賞「文化記録映画大賞」を受賞した大宮浩一。
日付も地名も、人の名も付すことのないこの映画は、未曽有の大地震津波の跡を、そして、その後もなお続くいとなみを、決して情報に還元することなく、スクリーンに大きく映しだしてゆく――はたして「復興」とは何を意味するのか? 私たちは何処へゆくのか? 映画館の暗闇に、いくつもの問いが、浮かんでは、消えていく。

【予告編】





実はかなり前に観せて頂く機会があったんですが、なかなか昇華できないまま、体調不良も相まって感想が遅くなってしまいました。申し訳ないと思いつつ、以下、感想です。





3月11日のあの震災から約一ヶ月後の気仙沼。あれほどダメージの大きな震災の直後に実際に撮影しにいって、それをすぐに公開するという、その機動力にまずは敬意を表しますよ。「映画の撮影をしなければ!」という監督の思いは素晴らしいと思います。


気仙沼市を走る車窓からの画は、これが本当に市の中心だったのか?というくらい何も残っていない。「間もなく右方向です。」とカーナビは冷静に言うけれど、行けども行けども何も無い。あるのは原型を留めていないビルや車の残骸。3階建ての団地の隣に同じくらいの小高い丘が、と思ったらそれは堆く積まれた瓦礫の山。港に行けば道路まで乗り上げて家の目の前で辛うじて止まった巨大タンカー。まさかこういう「現実」を「映画」で観るとは3月11日以前では考えもしなかったですよ。よくディストピアを描いたSF映画を観てもなんとも思わないけど、実際の画を観てしまうとそれまでの価値観なんて機能しなくなってしまうんですね。


この映画には地震直後の画も津波が押し寄せる画もありません。ただただ「震災の一ヶ月後」の風景。既に我々はあの日を共有しているので説明なんて何も要らないんだよね。「瓦礫と地平線」という画が全てを物語っているのです。また、撮影した季節がちょうど春で、ホントに穏やかな空気なんですよ。映っている映像は瓦礫の山なのに小鳥がのどかに鳴いている。「画」と伝わってくる「空気」のギャップはもの凄いです。まるで何もなかったかのよう。車の音や人の声など、「生活の音」が無くなってしまっているから実際は「静か」なんですよね。これはテレビで観た報道では気付かなかった部分。音楽もテロップもないこの映画の画は、テレビで観る震災報道よりも雄弁でした。


こういう画を見続けるとホントにタイトル通り「無常」を体感するのですよ。何でこんな事になっちゃったんですかねえ?人間だから起こった事に対して「理由」が欲しいんだけど自然災害だからしょうがない。それにしても「しょうがない」じゃ済まされない程の犠牲を被ってしまった。作品内では臨済宗の僧侶で小説家の玄侑宗久さんがインタビューに答えるという形で「無常」を説いてくれています。でも、起こった事は「無常」でも、そこに住んでいる人たちは「無情」ではないんだよね。どんなに辛い事があっても、どんなにセンチメンタルになっても、やっぱり「人間の強さ」というものをこの映画から感じるんですよ。
玄関の目の前までタンカーが突っ込んできた家に住む中学生の女の子は「でも、この海が好きだから」と言った。
故郷が気仙沼だという医師は「意識的に考えないようにしている」と懸命に街の人たちを診て廻っていた。
気仙沼に住む主婦は「テンションを高くしてないといられないのよ」と、ぽつりと言った。
やはり実際に自分の住む街を破壊されてしまった人たちの「気持ち」は強かったのです。
起こった事というのはどこまで言っても「正解」で、あれが悪いだのこれが悪いだの言ったところで仕方ない。いくら「無常」を感じても、それを受け入れて対処する能力が人間にはあるんだという事を教えてもらいました。


と、同時に、それを体感してないボクの成す術の無さに愕然としてしまったんですよ。
YouTube津波の映像を観て来たという外国人2人が出てくるのですが、その2人が街の光景を見て完全に言葉を失った顔をしていました。この映画を観てボクも同じ顔をしてたんですよ、多分。
この映画は街を離れて東京に戻る車窓でこの映画は終わります。その画を観ながら「スゴいものを観た」とか「なんとかしなくちゃいけない」と思ったのと同時に、心のどこかで「現場を離れてちょっとホッとした自分」がいるという事が衝撃でした。情けない話です。


震災の一ヶ月後という「あの時」じゃないと撮れなかったこの作品は「歴史に残る作品」だと思います。何かの折には観直したい作品でした。