「この空の花 長岡花火物語」

今回は大林宣彦監督の「この空の花」の感想です。正直言って大林宣彦監督作品、苦手です。なにしろ出会いが悪かった。一番最初の大林宣彦体験は、7歳の時に観た「HOUSE」。トラウマのあまり今でも怖くて観るのをためらうという始末。
※具体的には去年25年ぶりに観直した時に書いた「HOUSE」の感想をどうぞ。
しかしながら生涯ベスト級に愛してやまない作品に異人たちとの夏があるんですよ。皆さんご存知の通り、これも大林宣彦監督作品。大林宣彦監督作品は恥ずかしながらこの2本しか観ていないのです。
ボクの「苦手すぎる!」と「好きすぎる!」映画の両極端を担う監督。
よくよく考えたら、同時代に生きていながらそんな監督の作品の新作を劇場で観ないというのは何かもったいないという気持ちになり、意を決して有楽町のスバル座に行って観て参りました。スバル座も初めての劇場。雰囲気からして行き慣れているそこら辺の映画館とは格調が違う雰囲気。流石「ロードショー」のパイオニア。始まる前からもう既に「大林宣彦監督作品」が始まっているっ...!!


【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

新潟県長岡市に暮らす昔の恋人だった教師の片山(高嶋政宏)から、生徒が創作した「まだ戦争には間に合う」という名の舞台と花火を見てほしいと手紙で伝えられた地方紙記者の玲子(松雪泰子)。その機会を生かし、彼女は東日本大震災の被災者を迅速に受け入れた同地の様子も見て回ることに。市内を旅する中で不思議な出来事と人々に次から次へと遭遇する玲子は、それらすべてが空襲や地震から立ち直ってきた長岡の歴史と密接にかかわってくることに気付く。やがて彼女の旅は、過去、現在、未来といった時間を超越したものへと変わっていく。

【予告編】


以下、感想。






最高!


予想を遥かに超えたとんでもない映画でした!幻想的な世界へ一気に連れて行かれたような気分。1カット1カットの完成度が高くて美しい。過剰なまでのテロップと澱みなく流れ続ける台詞は、さながら爆音でトランスミュージックを聴いているかのよう。台詞と字幕の情報量のあまりの多さに、映画に食らいついて行くのを途中で放棄し、ただただ身をまかせてしまいました。その心地よさ足るや、「トリップムービー」とはダブルミーニングだったのか!と納得せざるをえません。なるほど確かにこれは「遠藤玲子のワンダーランド」。冒頭にそう出ているのもわかります。


カット割りも凄まじいです。速い!速い!速い!手数が多くて所作が見えない達人のカンフーを見ているようです。そんなスピードで展開されながらも一輪車の集団が突然横切ったり、特殊効果を使ったり、不意に観客であるこちら側に話しかけてくるようにカメラ目線を決めたりと、一秒たりとも油断ができません。なおかつ戦時中である「過去」と2011年である「現在」が同軸で展開されていくというぶっとんだ構成が流石です。ウォッチメンのDr.マンハッタンってたぶんこういう感覚なんだなあと思ってしまいました。スーパーヒーローと同じような感覚で映画を作れる人なんてそういませんよ。


それでいて、そんなテンションの高さが途切れる事も無く、徹底的にこの舞台である長岡の歴史を叩き込んでいきます。2時間40分あるんでね、ぶっちゃけ途中お尻が痛くなりましたよ。でも監督は全然許してくれませんもの。こっちが「もうわかりましたから!」つっても首根っこまま「まだまだ!」と話してくれない感じ。劇中劇があるのですが、定石ならリハとゲネプロを抑え気味にして本番でドカン!と見せるじゃないですか。監督はそんな事しませんよ。リハ、ゲネプロ、本番、のエネルギーが全てにおいて全力です。
この全力の表現を「クドい!」と思う人が居るかもしれません。たしかに劇中劇だけでは無く、同じ話を繰り返している場面が多々あります。松雪泰子高嶋政宏がどんなに素晴らしい演技をしていても、結局「スクリーンに一度も映らない大林宣彦が一番スゲえ!」っていう印象で、誰が出ていても「この映画、大林宣彦しか出てないよ!」っていう錯覚をしてしまいましたし。
でもこれは大林監督の並々ならぬ「気迫」と受け止めました。どうしても観客にちゃんと伝えておきたい事がある。と。


この作品、幻想的な世界観に圧倒されてしまいますが、ストーリー上ではフィクションの要素の方が少ないんですよね。長岡の件に関しては基本的に全部本当にあった話。実際の話も撮り方次第でファンタジーに昇華できるという点で既にとんでもない傑作なんですけどね。不勉強の誹りを受けてもしょうがないのですが、ボクは長岡の事を全く知らなかったんですよ。しかしながらこの映画で随分と詳しく知ることができました。ただ長岡の歴史を知った訳ではありません。監督は長岡を舞台にしながら、天災や人災を経て「人間に一番必要なものは何か。」と言う事を全身全霊をかけて届けようとしているのです。

人間に一番必要なもの。ネタバレになるので書きませんが、たしかに「コレ」は3.11という「天災」を経験し、原発事故という「人災」の問題のど真ん中を生きる我々にとって重要なものだと痛感させられました。

特に「人災」というものに関しては、大林監督ははっきりと戦う姿勢を見せていたように思えます。「戦争」という「人災」。劇中劇の戦争表現には恐ろしいものを感じました。「死」を思う。


今回の感想を書くにあたり、トラウマ映画の「HOUSE」を改めて観直したんですよ。ラストシーンにこんなナレーションが。一貫してるんですよね。


「たとえ肉体が滅んでも 人はいつまでも誰かの心の中に その人への想いとともに 生き続けている だから 愛の物語は いつまでも語り続けなければならない」


「死」を持って「生」を考える。


これはボクの大好きな「異人たちとの夏」も同じ。死んだ両親から「生きる事」を学ぶ。


そして今作「この空の花」。天災や人災で失った多くの命から「残された我々が成すべき事」を見つける。


映画監督としてデビューしてから現在まで一貫しているんですよ。「変化していない」という事ではありません。一貫しつつ、むしろ「進化」しているような。「HOUSE」の時よりも「この空の花」を作った現在の方が若返っている感じがするんですよ。


これは「映画」で「戦争」を無くそうと本気で思っている「覚悟」が詰まった作品。


そんな並々ならぬ気迫を感じざるを得ません。
そして齢70を超えてなお、これほどまでに若々しい作品を作る大林監督には、愛と畏れとたくさんの尊敬を込めて「日本映画の怪人」、そうお呼びしたいと思うのでありました。




【おまけ】

超怖い。

超号泣。