「キック・アス」

一週間もブログ書かなかったのはこのブログやりだしてから初めてでしたね。なにぶん年末なもんで映画に行く暇が無くてね。財布の中には焦げ付いた「ゴースト」のチケットが残りましたよ...。

で、ようやく超話題作「キック・アス」を観てきました。公開に至るまでの諸々の話題についてはまた別件で書きます。今回はこの映画の内容についての感想。


【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

コミックオタクでスーパーヒーローにあこがれる高校生デイヴ(アーロン・ジョンソン)は、ある日、インターネットで買ったスーツとマスクで、ヒーローとして街で活動を始める。何の能力も持たない彼はあっさり犯罪者にやられるも、捨て身の活動がネット上に動画で流され、“キック・アス”の名で一躍有名になってしまう。


以下、感想。
オチは触れてないけどストーリーラインは少し書いてます。







面白いです!というか、感動ものです!


中盤くらいからもうずっと号泣!この作品、観た人からの絶賛の声がとにかく多過ぎて逆に期待してなかったんだけど、予想をはるかに超えてきましたね。笑いと残酷描写のバランスが絶妙。「ギャグやってます!」っていう笑いじゃなくて「この人物だったらこういう事やるよ、こういう事言うよ。」っていうのがしっかりとハマってて、それが観客にちゃんと伝わってるから笑いに繋がってる感じでした。


主人公のデイヴはオタク高校生...っていうか、まああれくらいだったら普通の子だわな。物事の善し悪しに対する考え方とか、ヒーローになってみたいというスケベ心とか、アフリカ原住民の女性のおっぱいで興奮とか、あれくらいの年齢だったら普通です。そんな普通の男の子が、ヒーローものにありがちな「特殊能力」を殆ど持たずに基本ガッツだけで悪と戦う姿が良いんだよね。アマゾンだかebayだかで買ったヒーロータイツを身に纏い、鏡の前でキックとパンチ。大の男が鏡の前で決めポーズとるってのは「タクシードライバー」から当然当たり前になってる話ですよ!その勢いで街に出ちゃうっていう恥ずかしさなんてもう無いね。タイツ姿で自動車ドロと対峙した時のあのパンチラインは、奇しくも「おかしいな、鏡の前では決まってるのに...。」といった「ブラスト公論」パンチラインが思い出されます!
まあ、その後想像以上にひどい事になるんだけど、「キック・アスver2.0」になって地道なヒーロー活動(にゃんこの捜索)からのvs街のゴロツキ戦で、ボコボコにされながらヒーローに対する自分の初期衝動の慟哭に心を撃たれました。大きい話じゃないんですよ。「目の前に困ってる人がいるのになぜ助けないんだ!」っていう物凄く単純な事。ここはもうかなりの名シーンです。この映画何が恐ろしいってこのレベルのシーンがまだ序盤っていう事です。



他の登場人物の良さはもうね、皆さんがおっしゃってる通りですよ。ヒットガール最高ですよ!11歳であのクオリティですよ。クロエ・グレース・モレッツちゃんてスゴいね。「(500)日のサマー」でも印象深いけど、今回のヒットガールの演技は「新人」っていう概念のハードルを確実に上げたね。新人っていう事に関してはこの子が今後基準になると思う。それくらい堂々としてました。ビッグダディ演じるニコラス・ケイジもまた良し。最近頭のおかしい役ばっかりやってる気がするけど、今回もご多分に漏れずアレな感じの人。でも今までと違って格段に良いと思いました。ヒットガールのお父さんで復讐に燃える元警官役。自分の子供に対する仕打ちとか、言ってる事やってる事は明らかに尋常じゃないんだけど、やってる本人は全く普通の事だと思ってるっていう演技が素晴らしいよ。キチガイは自分の事キチガイなんて微塵も思ってないからね。その言動が狂気でもありおかしくもあり...。ヒットガールにしてみたら優しいお父さん。人がザクザク死ぬ映画で親子愛に泣かされるとは思いませんでした。



涙が止まらなかったのは映画として真っ当だったからかもなあ...。脚本とか音楽の使い方も良く出来てます。登場人物たちの行動にほぼ無理が無いってのがスゴイね。音楽の使い方も遊び心があるなあと思いました。キック・アスの相棒になるレッドミストが乗る「ミストモビル」が登場するシーンにはバットマンのテーマみたいな曲を使ったり、ヒットガールがカチコミを仕掛けるシーンにはマカロニウェスタン風の曲を使ったりね。
あと、伏線の張り方ってこうだよねっていうくらいアイテムの使い方が上手いです。「大事な人がいない」っていう心の動揺の重要な部分を、本当にちょっとしたアイテムで表現してるときには鳥肌立ちました。そう考えると本当にヤマトの第三艦橋のくだりってひどかったですね。



ここまですっげえ褒めてますが悪い部分も当然書きますよ。この作品があんまり良かったんで帰りに原作買って読んだんですよ。で、ようやくこの作品の良い部分と悪い部分がはっきりわかりました。


気になった点は2ヶ所。


まず、冒頭。ビルから滑空するヒーローのくだりが映画版だとあんまり意味を成してないね。キック・アスのせいで真似するバカが増えたって事があんまり伝わらない。
もう一点はデイヴが気になるかわいこちゃんケイティの友達が麻薬の密売人エディだっていう設定。原作だとこの2人って繋がってないんだよね。これだとケイティがいつも麻薬の密売人とつるんでるみたいで実は相当ビッチなんじゃねえの?って思ったりしました。


でもね。気になるのはこれくらい。むしろ映画は原作の拙い部分を相当埋め合わせしてますよ!


原作と比べて映画の方が良くなってると思う点は3ヶ所。


一つは相棒となるレッドミストの設定。原作版だとレッドミストのキャラってホントつまんない設定です。よくある「悪い奴」みたいなキャラにしか着地してません。映画版は物凄く魅力的なキャラになってました。主人公デイヴと同じ地平に立っているキャラ。主人公デイヴは「何者かになりたい」と思っているが、レッドミストだって「自分の偉大な親を超えたい」と思っている、いわば「何者かになりたい人物」。キック・アスとはただ環境が違っただけ。「出会うタイミングが合えば親友になりえた2人だった」まで描いてるのは映画のオリジナル。お互いタイツとマスクを着こんで車でパトロールしてるシーンは、はたから観れば間抜けなんだけど、2人が心底楽しそうだから感動すら覚えるよ。そこにかかる曲がナールズ・バークレイの「クレイジー」ってのがまた上手いよ。

レッドミストを演じてるのが「童貞ウォーズ スーパーバッド」の童貞俳優マクラビンなのが絶妙。

もう一つはビッグダディの設定。原作版は全く違う職業でした。ここをいじるといじらないとでは随分話の意味合いも変わってくると思うんですよ。要は結局「ヒーロー」なんてどこにもいなかったって事なんだけど、映画版のビッグダディはモロに「ヒーロー」だからね。でも原作版のビッグダディだとヒットガールに対しては無理があると思います。映画版はあの親子に「お母さんが死んじゃった」っていう共通認識があるから、ビッグダディも非情になれるし、ヒットガールもあそこまでとんでもない殺戮を繰り返せると思います。でも原作版はヒットガールって単にお父さんの酔狂に付き合ってるだけだからね。それじゃ子どもは付いてこないだろ。なにより映画版の親子愛が美しすぎて、原作版の設定がボクの中では吹き飛びました。これは改悪ではなくて改良。
ラストはキック・アスの初期衝動。前述した【「キック・アスver2.0」になって地道なヒーロー活動(にゃんこの捜索)からのvs街のゴロツキ戦】における初期衝動の慟哭って原作には無いんだよね。そもそもなんでキック・アスは大けがを負いながら人を助けるのかっていう部分。困ってる人を助けたいっていう「真のヒーロー魂」が、ヒーローになりたいっていう「スケベ心」を超えた瞬間を序盤で見せた点に深く感動しました。こんなに序盤にキモを見せて良いのかね?と思ってたら更に深いところまで描いてたのにはビックリでした。

【自分に守るべきものがある場合、命をかけて他人を助ける事ができるか?】


でも、やるんだよ!


一度、人を助けたら最後までやる。


根本敬先生の思想は安易に乱発したくないんだけど、結局のところヒーローに一番必要な事って「でも、やるんだよ!」しかないんですよ。原作本よりもむしろ根本敬作品をエンターテイメントとして映画化したらこうなったみたいな感じがしました。この映画にまさかの根本敬イズム。POPな「因果鉄道の旅」。


世の中は圧倒的に普通の人が多いです。だからこそ「普通の人が『ヒーロー』となって戦う」この映画に多くの称賛を与え、劇場に足を運ぶんだろうなあと思いました。「今年最後に観る映画!」「2011年一発目に観る映画」など、なんかのきっかけには丁度いい作品です。年末年始にぜひ満員の映画館でみんなで笑ったり泣いたりしてみてはいかがでしょう!



【おまけ】
因果者映画という事で日本のヒーローたちをご紹介。

「キャンディミルキィ」〜「川西杏」〜「川西さんの友人」

帽子おじさん@年末の寿町

キック・アス」観ててこの人たちを思い出しました。

あと、サンテレビ(神戸)とかTVK(神奈川)とかで昔やってた、どっかのカラオケバーでその店のママさんとかが司会をやる「素人カラオケ番組」に出てた人たちも思い出したよ。
一応プロという事ですが...。


この人たちは間違いなくヒーローだと思います。