「玄牝」

「げんぴん」と読みます。twitter上では公開前から賛否両論。かなりデリケートな問題を取り扱ったドキュメンタリーですからねえ。公開日に観てきましたよ。確かに難しい作品でした。ふー...。


【チェック】※シネマトゥデイより引用

七夜待』の河瀬直美監督が、今まで連綿と続いてきたお産という普遍的な題材に取り組んだドキュメンタリー。現代医学の技術を取り入れつつも、昔ながらの自然なお産を後押しする愛知県にある産院の四季をカメラがとらえる。出演者は、これまで50年近く2万例以上のお産に立ち会ってきた吉村医院の院長吉村正と、そこに集う妊婦やその家族やスタッフたち。生き生きと立ち働きながら出産を待つ未来の母親たちのまぶしい笑顔に、希望が宿る。

【あらすじ】※これもシネマトゥデイより引用

愛知県岡崎市にある産婦人科、吉村医院に併設するかやぶきの古民家に次々と妊婦たちが集まって来る。この医院の院長の吉村正は、半世紀にわたり自然なお産に尽力してきた人物で、彼を慕ってやって来る妊婦たちは後を絶たない。普通なら特別扱いされそうなおなかの大きな妊婦たちも、ここでは当然のようにまき割りをするなど、よく働いている。





さすが公開初日という事で結構入ってました。「ええっ!?」と思ったのが、ボクが観た回もその前の回も小学生くらいの子供連れで来てるお客さんがいたんですよねえ。PG12だから良いんでしょうけどね。ホントビックリでしたよ。ボクに子供がいたらとてもじゃないけど観せられませんよ。個人的にR指定作品ですよ。

はっきり言ってしまうとボクの今年度の個人的映画ランキングで暫定ワースト1位です。ついていけないし認めるわけにはいかんのです。これってドキュメンタリーなもんでね。監督の主観の世界をはっきりと観せてもらいましたので、こちらもしっかりと主観で感想書きますよ。





まずはこの映画の中身から。この映画、嫌いな点が3つあります。

1つ目はこの映画の中心人物となる産婦人科医、吉村正先生の思想。「死ぬものは死ぬ。生きるものは生きる。それは自然や神が決める事。」とか「いのちの前ではまったくの無力だ。」という思想は、ボクは個人としては100%同意です。全くその通り。落語の世界観とも近いものがあるからね。死ぬもんは死ぬんですよ。しょうがないじゃない。ただ、そんな事を医者が言っちゃいかんだろ。死ぬもんは死ぬし、いのちの前では無力かもしれないけど、それと全力で戦ってこその医者だろう。吉村先生が哲学者だったら違和感無かったけどね。命を預かる人から聴きたくない台詞でしたね。即刻医者をやめるべきだと思うけど。


2つ目。吉村先生の現代医療に対する批判。「最近の大きな病院はなんでもかんでもすぐ簡単に帝王切開する。ホントのお産は江戸時代くらいの環境で自然に産むのが一番良い。」と、妊婦さんに現代医療が如何に悪いかという事を教えるシーンがある。で、その話を聴いて納得する妊婦。このシーンは非常に危険だと思うね。
まずホントに現代医療が「すぐに帝王切開する」か?っていう点。吉村先生の言い方だと「大きい病院で出産=帝王切開」という風に聴こえる。みんながみんな帝王切開で子供を産んでいる訳無いだろう。仮に「大きい病院はすぐ帝王切開する。」っていう話を100歩譲って認めたとして、それは「大きい病院」だからじゃねえのとも思うんだが。難産で一般の診療所では危険だから、大きい病院に運ばれて帝王切開せざるを得ないという可能性もあるよね。帝王切開せざるを得ないからそういう妊婦が大きい病院に集まるんじゃない?あと吉村先生の批判には現代の社会状況ってもいう観点も入ってないよ。そりゃ江戸時代だったら良いよ。15、16くらいの年齢で子供産んでただろうから。現代ってそんな簡単な話じゃないでしょ。30超えてから初産だったり、前回の出産が帝王切開だったら今回もそうせざるを得ないって事があるじゃない。そういう情報を妊婦に一切伝えずに、ただ「帝王切開→自然な出産じゃない=悪いこと」って教え込むのは危険だよ。吉村先生の物言いはプロパガンダの一種です。自然分娩のリスクをほとんど伝えていないのは良くないね。
「江戸時代の頃のお産が望ましい」ってのは精神論かもしれない。吉村先生の提唱している「ごろごろ ぱくぱく びくびくしない」生活=「現代的な生活に頼らず伝統的な日本の食事をし、不安を抱えず自然体でいる」ていう考え。でもこれって現代医療でも普通に言ってない?単なる吉村先生のノスタルジイだけで物事言ってませんかね。「インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)」が大事だって事なら話もわかるんだけどね。
なにより「母体と生まれてくる子供が両方とも安全である」という究極の目標の為に、先人たちが心血を注いできた苦労や試行錯誤、そして多くの母子の犠牲の上に成り立っている現代医療を否定する事なんてできませんよ。吉村先生は基本「死ぬのはしょうがない」って言ってるんだから。雲泥の差ですよ。あと一応言っとくと帝王切開って江戸時代からあるからね


3つ目。この病院(というか日本家屋)では、妊婦たちが吉村先生と車座になって「お産学級」という勉強会が行われています。このシーンに出てくる妊婦さん達って全部「自分の話」しかしないんだよね。お産が怖かったとか痛かったとか私は自分でこの自然分娩を選んだとか。お産と私。私の理想的なお産。自分にとってお産がどうあるべきか?等々。まあこれがそういう会だからしょうがないんだけどね。みんな自分の事しか考えてないんだね。徹底的に自分語り。痛いのヤダ。苦しいのヤダ。強烈な自己愛。それでいてみんなが発している「いま私は正しくて善き事をしている」オーラ。反吐が出ます。何が一番ショックだったかって結局誰も「生まれてくるこの子の為に」って言う妊婦さんがいなかった事ですよ。こんなに悲しい事はないです。妊婦さんてそういうものなの?正直ガッカリですよ。このシーンは今まで映画を観てきた中で一番といっていいくらいショックで絶望的でしたね。極めて醜悪で不快な空間でした。

 
とまあ、こんな感じでこの映画の内容はボクの考えとまったく違うのでワースト1にせざるを得ないです。
他の人がどう思うかはわかりませんよ。実際感動して泣いてらっしゃったお客さんもいましたしね。もちろん先生の実績を批判してる訳ではないです。数多くの赤ちゃんが生まれる瞬間に立ち会ってますし。つか、ボクは男である以上「出産」という体験が一生できませんから。この感想はあくまで「事実を監督の主観で見せてる世界」に対してのボクの主観。


ただ、内容は嫌いだけど「映画好き」「ドキュメンタリー好き」からの目線で、これを一つの映画として観ると若干感想が変わってくるんですよ。


監督が計算したのかそれともたまたま映ってしまったのかわからないんだけど、観終わると結局は吉村先生の「無力」感が伝わってくるんだよね。監督の重心はこの映画を観る限り「自然分娩肯定派」に寄ってると思います。被写体の吉村先生は吉村先生でちゃんとした医者だから自分の「思想」と「職業」が自己矛盾を起こしている事に悩んでいます。そういう悩みを抱えている吉村先生という人間に焦点を当てている以上「ほつれ」って言うのが絶対あって、それをほんの少しだけど映しているところに監督のドキュメンタリー作家としての良心をかろうじて感じました。この点が「我々の行動はすべて善き事だ!」と描いてしまっている「ザ・コーヴ」とは決定的に違う点。



吉村先生の「無力」感が描かれれてるなと思ったのは色々あって、例えば終盤で突然吉村先生の娘さんが出てきて、先生に今までの自分の人生の不満をぶつけるシーン。娘さんは「他の人ばっかり面倒見て家族をかえりみなかった!」と吉村先生に詰め寄る。ぐうの音も出ない先生。唐突すぎるけど、このシーンがあると無しとでは印象が違いますよ。結局は先生も単なる人であるという事。神様と崇められている人を地上に引きずり下ろすようなシーンで印象深かったです。「ビヨンド・ザ・マット」のジェイク・ロバーツみたいな感じでした。


特に「無力」感が描かれていたのは吉村病院の助産婦さんたちが病院の問題点を話している点。結局のところ「吉村先生の話=すべて正しい事」みたいな解釈をする妊婦さんが多いけど、それは根本的ではないですよというような内容を話しています。ああ、助産婦さんたちもやっぱりそう思ってるんだ。

こんな感じで吉村先生と助産婦さん達とか、吉村先生と妊婦さん達という関係に若干のズレを感じましたよ。

吉村先生の思想って言うのは「死ぬのはしょうがない」っていうものなんだから、「母子ともに絶対に安全」って訳ではないんだよな。「いのちをかけて産め」と吉村先生は言うけど、いやホントその通りで、自然分娩ってリスキーなものなはずなのに先生の言葉の上っ面しか理解していない妊婦さん達しかいないように見えました。結局ここの妊婦さんて「ファッションとしての自然分娩」くらいの考えみたいに見えるんだよね。吉村先生の思想はかなり覚悟がいるものなのにね。死ぬのは仕方ないなんて覚悟している人なんかあそこにはいないよ。みんな自分語りするくらい自分の事が好きなんだから。
この伝わらなさが先生の「無力」感をよく描いてましたよ。先生の「真意」が妊婦さん達に届いていない。ギリギリまで自然分娩にこだわった結果、無理なんで総合病院に運ばれて帝王切開で産んでたお母さんがいたけど、この判断の遅れも「ズレ」から生まれてるような気がしました。


そんな「無力」感を画として象徴的に映してるのは妊婦さんの出産のシーンね。妊婦さんの出産シーンが何回かあるんだけど結局は助産婦さんがテキパキと進めて吉村先生はただ見てるだけでした。これほど吉村先生の「無力」感が表れているシーンはなかったよ。


こういったズレが多少なりともちゃんと作品内にあったからこれはドキュメンタリー映画として「良い」映画です。意識してかどうかは分からないけど観る人によっては良い面悪い面が描いてあったよ。ほんの少しだけね。


やっぱり「好き嫌い」と「良い悪い」って違うんだよなあと再確認させてくれる映画でした。
人それぞれ感想が違うっていうのは「ドキュメンタリー」として成功してるんじゃないですかね。多くの人が観た方が良い映画だという事は間違いない。で、観た上でいろいろと自分で判断すべし。



【おまけ】
アンタッチャブル 『出産』


本文からこぼれた感想

  • 出産シーンのお母さんたちは押し並べて気持ちよさそうに見えましたよ。性的な意味で。いや、冗談じゃなくてああ言ったシーンを見せられると人体の不思議がはっきりと体感できますわ。
  • 個人的R指定としたのは映像に「事実」を使っているから。殺人鬼が人を惨殺する劇映画がR指定なのとは訳が違う。あっちはあくまで「全てが作りもの」の世界。さっきも書いたけどこの映画って自然分娩のリスクを描いてないので、子供がこれ見たら「自然分娩こそ正しい事だ!総合病院に行く事は間違ってる!」って勘違いするかも。