「nude」

昨日はお休み。いつも通り「暗い部屋の真ん中で体育座り」と、休日をエンジョイしていたところtwitterから「映画『nude』を観てください!」と言われたので新宿に観に行ってきましたよ。


【あらすじ】※allcinemaより部分引用

芸能人になることを夢見ながら、新潟から上京し大学生の恋人と東京に暮らす山瀬ひろみ。ある時、渋谷でスカウトされ、AV出演はしないことを条件にヌードモデルになることを決意する。みひろという芸名も付き、仕事が軌道に乗り出すと、恋人や地元にもバレてしまい、周囲の理解を得られぬまま孤立していく。そんな中Vシネマへの出演も増えていくみひろだったが、もっと有名になりたいという彼女に、ある決断の時が迫る。

以下、感想です。敬称略。





暖かい映画でしたよ。
スゴく綺麗な映像です。色合いの使い方が上手い。親友と眺める夕日から始まり、スカウトされて芸能事務所の社長から喫茶店で話を聞くシーンは限りなく「白」に近い明るさ。ここで唯一暗い色を使ってる箇所があって、それが社長のスーツ&シャツの色。「未来への希望」に通じる道を開いてくれる人の衣装が「黒」。このシーンの上手さは素晴らしいです!さらに初めてVシネの話を聞かされる時は、喫茶店のシーンの色合いとは真逆で夜道を走る車の中。黒と青の世界。こういう配色の細かいところが丁寧な作りだと思いましたよ。小沼雄一監督の作品はタイミングが合わなくて観た事なかったんだけど、演出家としてスゴく腕の良い方とお見受けしました。AVの世界を極めて事務的に描いているのも好感。作っているものは「エロ」でも、作っている人たちは普通の映画やドラマを作ってるのと何ら変わらないプロの世界。あの描き方は好きだなあ。

役者の皆さんの演技も素晴らしいですよ。
なんと言っても主人公の「みひろ」を演じた渡辺奈緒子がホントに素晴らしいです。AVを題材にしているとはいえ、まあSEXシーンに関してはどうせお茶を濁した演出になってるだろうと思ってましたよ。想像以上に頑張ってました。ホントのAVみたい。彼女のおかげで、田舎から出てきた子供が社会の壁にどんどんぶつかっていく様がよく映っていました。裸が綺麗っていうのも得してるね。彼女の今後の活躍とっては良い作品だと思いますよ。社長演じる光石研も良いけど、1シーンの出演にも関わらず、物語に強烈なインパクトを残す山本浩司がイイ味出してます。表情も含めてヒール。ふわふわしている主役に真実を叩き付ける「ジョーカー」としてこの映画をキチッと締めている。というか、この映画に出てくる大人たちって全員「真実」しか言ってないんだけどね。はっきりとみひろに叩き付けるのは山本浩司しかいないから余計目立ってる。かなりおいしい役です。

しかし「暖かい映画」っていうのはヌルいって意味でもあります。良くも悪くもって事なんですよ。

茶店で事務所の社長がみひろに「(芸能界に入ったら)何をしてみたい?」と聞くと、みひろは「なんでもしてみたい(ぼんやりと)。」って言うんです。みひろはこの映画の中で、ずっとこのテンションに見えるんですよ。何をするにもぼんやりテンション。周りの大人は気づいているんです。彼女の「才能」に。だから彼女の為に動く。そこら辺の「自覚」が全然感じられないんだよなあ。「SR サイタマノラッパー」の主人公にはなんの才能もない。でも、やる。「何も持たざる者の鬱屈」っていう映画。。「nude」のみひろはAV女優としての才能がある。でも、心ここにあらず。「既に持っている者の憂鬱」っていう映画でしたね。

なんでこういう風にぼんやりとして観えちゃうか?っていうと、みひろにAV女優としての「覚悟」や「覚醒」というのが全然見えなかったからなんですよ。この映画の中でみひろには「ヌードグラビア→Vシネ出演→AV出演」という人生の選択が3回あります。それが全部はっきり自分の意志で決めているように見えないんです。「私はAV女優になると決意した。」と台詞だけで処理しちゃってたり。初めてのグラビア撮影シーンはスゴく良いんです。シャッターの音とフラッシュの光。はっきりと「私は今、華やかな世界にいる!」という恍惚。その良さを、みひろはちゃんと理解して欲しい人たちである親友や彼氏に何故かはっきりと伝えないんですよね。「AVしてる」と彼氏に伝えるシーン。ウソをついていたからとはいえ、「ごめん...。」と謝っちゃうんですよ。これってみひろ本人にも「AV」という世界に引け目を感じているように見えました。これ観て「国民的AV女優云々」と付けちゃう宣伝もどうかしてると思うよ。

細かいところを言うと、みひろ「本人」の使い方もどうかと思うなあ。渡辺奈緒子演じる主人公に「みひろ」と名前をつける先輩AV女優役にみひろさんご本人が出演してます。考え過ぎだけど、これだとみひろが自分で「みひろ」と名付けたように見える。仕事が嫌になってトイレに逃げ込んだ「主人公」みひろを説得するのも「本人」のみひろ。こういうのって全くの他人から言われるからグッとくるのであって、そこに本人をキャスティングするとブレると思うよ。なんだか「全部自分で解決してきました!」って見えちゃったよ。

こういうのは良い悪いじゃないです。「そう見える」っていう話。

これは例えばの話ね。
例えば、結局は親友や彼氏からAVに対して理解を得られなかった。みひろ本人もAVについて引け目を感じていて正しく伝える事が出来なかったから。失意のままAV撮影の現場に戻る。カメラや照明、プロのスタッフに囲まれてSEXをする。そこで初めてみひろは「私の居場所はここだったんだ!」と覚醒する。みひろ本人は最後に登場。主人公みひろにみひろ本人が「あなたは誰?」と聞いて、主人公みひろが自信を持って一言、「私は『みひろ』です。」でエンディング。こうだったら超傑作でしたよ。


ただ、すっごく重要な話。
この映画、原作があるんですよ。
現実ってのはこんな「ハート・ロッカー」や「マイレージ・マイライフ」みたいにドラマチックではないって事。これは亡くなった人の伝記ではなく、現在進行形の話。
原作にこう書いてあったらもうしょうがないです。話を盛る事は出来ないでしょう。実際、この映画にはなぜかみひろの両親の話が一切出てきません。たぶんまだ話せる状況じゃないんですよ。原作にはしっかりと覚悟とか覚醒のシーンがあるのに映画の方には全部カットしてあったとしたら酷い話。でも多分、原作の時点からそこが描かれてないからこういう形にせざるを得なかったんだろうなあ...。と思います。実際の人生、現在進行形の話を映画化する難しさを乗り越えようと、スタッフ/キャストが一生懸命努力している映画として好感あり!でした。



【おまけ】
エンディングテーマが不思議な雰囲気を醸し出していて良かったですよ。

こうやって観直してみると「SR サイタマノラッパー」は奇跡のキャスティングだったよね。


※本文にこぼれた感想

  • 親友の女の子、訛り過ぎじゃね?
  • みひろさんがしそ焼酎好きって部分はホントだろうなあ。