「幕末太陽傳 デジタル修復版」

あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
2012年、一発目の感想は川島雄三監督の「幕末太陽傳」。今年は日活ができて100周年という事で、デジタル修復版が現在公開されています。なにかしらの節目の時には観直してるんですが良い機会なのでテアトル新宿で観てきましたよ。

【あらすじ】※シネマトゥデイより引用

江戸末期、品川宿遊郭「相模屋」へ、仲間と繰り出した佐平次(フランキー堺)。翌朝、一文なしの佐平次は居残りを決め込み、店の雑用一切を引き受けることに。高杉晋作石原裕次郎)から勘定のカタを取るなど、佐平次は素晴らしい働きを見せる。そんな佐平次をめぐって、女郎のこはる(南田洋子)とおそめ(左幸子)がにらみ合いをするようになり……。

【予告編】



以下、感想です。そこそこネタバレしますよ。




やはり何度観ても面白い!

さすが「デジタル修復版」と銘打っているだけありまして、細部までかなりクリアに見えるようになっていました。クリアになってよりわかったのがメインセット「さがみや」の豪華さ遊郭と言えば絢爛豪華みたいなイメージがありますが、この「さがみや」、派手な作りという訳ではないんですよ。がっしりとした感じ。本物の建物をそのまま使っているような錯覚すら起こります。これがセットだってんだからたいしたもんですよ。客やお女郎さん達がどんちゃんどんちゃん、やったりとったりしてる派手な夜と、拍子木が打たれ「大引け」でみんな寝静まった深夜、見世番がたーっと大きな廊下を雑巾がけしている朝など、それぞれ違った雰囲気が心地よいのです。この「さがみや」もこの物語の重要な要素であるなあ、と再確認できました。


また、デジタル修復版は映像だけではなく、音声にもかなり手がかけられていたと思います。とはいえ、まだ聞き取りにくいですけどね。これはもう直らない話。登場人物達の江戸弁が完璧なので現代人には聞き取りにくいんですよね。もちろんそこが良いんですよ!感覚的な話で恐縮だけど、時代劇で「江戸の風」か感じられるかどうかって、監督が江戸時代をちゃんと理解して、さらにそれを役者陣にちゃんと伝えられるかで善し悪しが決まるんじゃないですかねえ。タイトル出さないけど、近年でいろいろやっちゃってる時代劇映画ってありますからね。もう再現不可能なのかもしれないけど...。


内容の話。改めて観直すと「落語」のネタが知っていたのよりも多かったのが驚きでした。「居残り佐平次」をベースに、「品川心中」と「三枚起請」と「お見立て」。ここまでは憶えてたけど、さがみやに奉公に出てる「おひさ」とそのお父さん「左官屋の長兵衛」の部分。あれってまんま「文七元結」からきてたのは気付かなかった。これらに品川御殿山の「英国公使館焼き討ち事件」といった、歴史上本当にあったエピソードを盛り込んで一つの物語にしてしまう。この構成が素晴らしいです。しかも高杉晋作は実際に品川宿の「さがみや」に泊まってるのね。こんなに盛り込んだ話なのにも関わらず、「落語」のリズムと「映画」の表現の良い所を両方とも押さえていて観ていて楽しいのです。


バラバラの話を機転一つで見事に解決してしまう佐平次には溜飲が下がります。2012年にもなって今更言う事ではありませんが、フランキー堺は上手いねえ。羽織の着方一つで「粋な遊び人」というキャラクターがわかるというもの。あの羽織の着方は事あるごとにマネしたい。頭が良くて度胸が据わってる。「映画版」こち亀両さんが目指すべき位置はこのキャラでしたね。他にも南田洋子左幸子の可愛さとか岡田真澄の出オチ感とか、どこ切りとっても「イイ!」のですよ。全体的に「気合いが入ってる」という感じがものスゴく伝わります。全てのエネルギーが一方向にまとまって爆発していると言うのは名画の特徴。この映画もまさにそうでした。日本の映画史に残る理由もわかります。



ただ、ここからが難しいところで「幕末太陽傳」の佐平次って、個人的には「好き」と「嫌い」の半々くらいの思いがあるのですよ。「胸を患ってるから品川宿で居残りをしている」っていう設定があまり好きではないのです。 「ただ居残りするのが好きなだけ」っていう(立川談志の)落語の「居残り佐平次」の方が面白いと思っている自分もいる訳で。映画だと居残りをする「理由」がいるんだよね。「理由」がないと佐平次ってなんだか訳のわからないキャラクターになってしまう。で、なんだか訳がわからない部分を楽しむのが落語で、落語にはなんだか訳のわからない部分が描ける表現力がある。映画にはちょっとムリだと思う。観てる方が絶対「理由」を探してしまう。この佐平次に対する思いのズレが「嫌い」な部分。


で、困った事に「好き」な部分は「落語と違う」からなのですよ。あらゆる人が感想で長年言っているように、「佐平次=川島雄三監督」なんだよね。病弱で永い事生きられないと考えていたであろう川島監督が自分の思いを投影して作り出した佐平次。佐平次の了見は「どんな事をしても生きる」という事。だから彼は映画の中でバイタリティ溢れる動きをしている。このキャラは川島監督じゃないと生み出せない。まさに川島監督自身を描いた作品として見事な語り口だから「好き」なのです。


毎回観る度に「嫌いだけど好き」という不思議な感覚に陥る映画。今年はムチャクチャ綺麗な画質で、しかもスクリーンで観る事が出来て本当に良かった。幸先の良いスタートが迎えられるという事で皆さんもよろしければ是非!



【おまけ】
ボクが川島雄三監督を知ったのは中学生のときに読んだ「栄光なき天才たち」という伝記マンガからなのですが、このマンガを改めて読み返したらかなり良く出来た作品でした。マンガでありながら「幕末太陽傳」の映画評になってます。この映画のテーマは「積極的逃避」。ラストの墓は川島監督の故郷「恐山」を表している。幻のラストシーンについてなど。

栄光なき天才たち 2 (集英社文庫(コミック版))

栄光なき天才たち 2 (集英社文庫(コミック版))



【おまけのおまけ 完全ネタバレ】
「幻のラストシーンについて」Wikipediaより引用

映画の最後は、こはるに熱を上げるしつこい旦那を煙に巻こうとした佐平次が、千葉からやって来た旦那の杢兵衛を海蔵寺の墓場に連れて行き、出鱈目な墓を指してそれをこはるの墓であると騙すというものである。結核を暗示する咳をし、顔色の悪い佐平次に杢兵衛は「(墓石を偽ると)地獄に落ちねばなんねえぞ」と言い、佐平次の体調不良を天罰だと罵る。すると佐平次は「地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ。」と捨て台詞を吐き、海沿いの道をどこまでも走って逃げていくというものである。

このラストシーンは、脚本段階では、佐平次は海沿いの道ではなく、杢兵衛に背中を向けて走り始めると墓場のセットが組まれているスタジオを突き抜け、更にスタジオの扉を開けて現代(昭和32年)の街並みをどこまでも走り去っていくものであった。佐平次が走り去っていく街並みはいつかタイトルバックに登場した北品川の風景になり、その至るところに映画の登場人物たちが現代の格好をして佇み、ただ佐平次だけがちょんまげ姿で走り去っていくというものだったという。

これは川島がかねてから抱いていた逃避願望や、それとは相反する形での佐平次に託した力強さが、時代を突き抜けていくというダイナミックなシーンになるはずだったが、現場のスタッフ、キャストからもあまりに斬新すぎると反対の声が飛び出した。川島が自らの理想像とまで見なしていた佐平次役のフランキー堺まで反対に回り、結局川島は現場の声に従わざるを得なかった(但し、フランキー堺は後に「あのとき監督に賛成しておくべきだった」と語っている)。

しかし幻のラストシーンも現存するそれも、それまでの軽快なタッチとは異なり、墓場という陰鬱な風景をなかば嫌悪と恐怖を持って描いており、そこから逃避するという点では一貫している。このラストについては、日活に対する川島の怒りが撮り逃げという形で表れたとする説、「サヨナラだけが人生だ」という言葉を残した川島の人生哲学が反映したとする説、あるいは故郷の恐山に対する嫌悪と畏怖など諸説がある。

なお、この幻ラストの方は、後に様々な映画人によって、意識的、無意識的に踏襲されている。今村は自身のドキュメンタリー映画「人間蒸発」でラストシーンの部屋がセットだという事を観客に明かし、映画とドキュメントと現実社会の境界の曖昧さを問い掛けた。川島と同郷である寺山修司は、恐山を舞台にした『田園に死す』のラストで、東北の旧家のセットが崩壊すると、その後ろから1970年代の新宿駅東口交差点が現われるという衝撃的な映像を作り上げた。崩壊したセットの周囲を現代人となった映画の登場人物たちが往来するなど、明らかに川島の影響をうかがわせる。

また、アニメーター・映画監督の庵野秀明が『新世紀エヴァンゲリオン』制作中に「幕末太陽傳をやりたかった」とたびたび語っていたことも有名な話である。テレビ版最終回で実写のスチル映像が紛れ込んだり、「もう一つの可能性」と称してまったく雰囲気の異なる学園ラブコメになりその最後がアフレコ台本で終わるのも、『幕末太陽傳』のラスト、そして川島の積極的逃避哲学から庵野が影響を受けた結果であるという。

まあ、ということらしいんだけど。
面白いけどやらなくて良かったんじゃないだろうか。もしもこのアイデアをホントにやってたら当時の観客に受け入れられたかどうか...。日本映画オールタイムベストどころか「カルト映画」になってたかもね。