「死刑台のエレベーター」(2010)

調べてみたらオリジナルの方も今日からリバイバルでやってるのね。じゃあ両方行かないと!と、いう事で今日は「死刑台のエレベーター」を両方観ました。

1957年公開のオリジナル版は言わずもがなの名作なので感想は簡単に。
「え?」ってところもあるけど、流石名作と言われてるだけある。ほんの些細な事からみるみる崩れていく完全犯罪。犯人と共犯者の心の揺れ。バラバラのストーリーが最終的にとある小道具で全てつながるという構成。どれも「お見事!」と思わずうなってしまうほど。ハードルは高いけど、この作品をリメイクして全てが上手くいったら傑作が出来るんじゃないか?と思った次第!
で、オリジナル版を観たすぐその足でリメイク版へ。

【あらすじ】
※チラシより引用

女は、愛人関係にある男と周到に殺人計画を企てる。それは、自分の夫を自殺と見せかけて男に殺させること。その完全犯罪は、たった15分で終わるはずだった…。しかし、その計画は男が巻き込まれたエレベーターのアクシデントによって、もろくも崩れ去ってしまう。女は、約束の場所に現れなかった男を捜して、夜の街を彷徨う。男は、閉じ込められたエレベーターで、あせり、いらだち、恐れ、一夜を過ごす。そして、もうひとつの若いカップルによって引き起こされる、さらなる殺人事件。ひとつの歯車が狂い始めたとき、二人の愛は衝撃の結末へと向かって行く…。

死刑台のエレベーター(2010)予告編


以下、感想。今回もネタバレですわ。






そもそもなぜ「リメイク」するのか?という話になる。
例えば、古典落語のネタも広義で毎日いろんな噺家に「リメイク」され続けている。「芝浜」だろうが「饅頭怖い」だろうがネタの流れは基本的に一緒。噺家が元ネタに対し、如何に変化を加えて「自分の解釈」を聴かせるか、という部分に面白いところがある。いつも同じ話じゃつまんないしね。いわゆる「オリジナリティ」の部分。映画の「リメイク」にしてもそう考えるとよくわかる。オリジナリティをどう出すか?そこで重要なのは、まず元ネタに対して「自分の解釈」があるかどうか?って事。

で、この作品ですよ。
作り手がなんでこの「死刑台のエレベーター」という作品をリメイクしようとしたのか、さっぱりわからんのです。単にプロデューサーが「この作品がスゴい好きで」って話ならわかります。でも雇われた監督や脚本家はその思いを汲んだとして、せめてプロとして「自分の解釈」をして欲しかったなあ。

端的に言えば「オリジナル作品の拙い部分を上手く言うクリエイティブな部分が無い。いじらなくて良い部分をとにかくいじる、その割に効果がない。」という事です。

オリジナル版「死刑台のエレベーター」。ボクが観た限りでは傑作で面白いんだけど、ご都合主義っぽい部分も結構あると思ってます。それと1957年公開作品を現代にリメイクするに辺り、ストーリーが成立しなくなる構成もあります。
【この作品をリメイクして全てが上手くいったら傑作が出来るんじゃないか?】
と思ったのは、ここをみんなが驚くような観た事無いトリックで「リメイク」されていたら傑作だ!と思ったんですけどね。むしろオリジナル版の欠点はスルー、良いところを改悪、っていう目も当てられない事態になっててガッカリしてしまいましたよ。


一番わかりやすく、且つ最重要な部分。「エレベーターはなぜ止まるか?」。
オリジナルの方はまあ良いですよ。1957年頃は会社が休みの日は電源落としちゃう時代だったんでしょう。21世紀に入った現代の大企業で、会社が休みの日に電源全部落とすってありえるかね?百歩譲ってリメイク版の説明の通り「社長の方針で」会社の電源を落としたとしても、その会社って医療メーカーだからね。医療扱ってる会社の電源は常に入ってないとまずくね?全く納得がいかない。


時代性で構成が難しくなっちゃった部分。「携帯電話で連絡を取り合える」。
共犯の女とエレベーター内の男の連絡がエレベーターによって遮断される。今じゃ携帯があるから成立しにくいこの部分を安直に「車に忘れちゃった」としていいのかね?もうこういう「忘れた」とか「電池無い」とか「圏外」とかいうのはさんざん他の映画で見てるからさ。ここでもっと携帯電話が繋がらない他の理由を見せてくれれば良かったのに。


オリジナル版でも拙いと思った部分。「オープンカーなのにキーをつけっぱなしにしたまま車を離れる」。
いくらなんでもこれっておかしいなあと思ってて、リメイクするならこれをもっと説得力あるようにするだろうと思ってました。リメイク版はまんまとオリジナル版どおり、キーつけっぱなしで車を離れました。え?


北川景子の住所をあっさりバラす美容院ってのも作ってておかしいと思わなかったのかね?現代だったらありえないでしょ。吉瀬美智子の気迫に負けたとでも言いたかったのかなあ。あの一本調子の演技でそんな気迫あったかなあ。


「元軍人の商社マン」をかつて「医療ミスをした医者」に替えたりとか、デジカメ時代にあえてフィルムカメラで無ければいけない理由とか、上手く行ってる部分もあるんですけどね。ダメな部分をいじらないってことは作り手がここは別にダメとは思ってなかったって事でしょうね。ボクと作り手の意識の違いだからしょうがないと言えばそれまでだけど、時代性に関してはクリエイターの腕の見せどころなんだから、もっと驚かして欲しかったです。


あと、変更しなくても良いところを変えちゃってるからタチが悪いんですよ。


もう一方のストーリーライン。玉山鉄二北川景子のくだりが特に酷い事になってます。ヤクザにボコボコにされてそのまんまの「警察官」って初めて観ました。(悪い意味で)斬新!オリジナル版の「不良少年」を「警察官」にしちゃってるから話に無理がありますよ。結果「なんとなく」悪い奴になっちゃってる。その説明をなんとかしようとするから、こっちの二人の方がメインストーリーみたいになってくる。でもあんまり説明がつかない。説明がつかないキャラを「キチガイ」や「不思議ちゃん」として片付けるのは「逃げ」だろ!演じてる身にもなってやれ!


安易に変える事を「リメイク」とされても良い作品にはならないよ。時代が違う作品は特にクリエイターの腕の見せどころ。現代風に昇華できないようならやめるべき。設定をオリジナル版の時代に併せて「50年代の日本」にしてみるのも手だけど、これも一種の「逃げ」だよね。変える部分、残す部分を見誤ると悲惨な事になっちゃうね。



※【追記】
緒方明監督のインタビュー記事を読んで納得!

「オリジナルからはストーリーと人物設定だけをもらいました。ですが、いわゆる男女間の恋愛の有り様や、人間の感情の有り様が50年前と今では変わっているわけです。今回のリメイクで最も注意した点はそこでした。たとえば、エレベーターからの脱出などの物理的なことは知恵を使えば何とかなるんですが、不倫の果てに人を殺してしまうということは、50年前と現代ではまったく意味合いが違うわけです。おそらく不倫の概念そのものも変わっているでしょう。そこをリアリズムで埋めていく作業っていうのが、演出家としては一番気を使ったところですよね」

「男女間の恋愛の有り様や、人間の感情の有り様」こそ『不変』だと思うよ。昔の恋愛映画に感動するのもそこにある訳であって。時代のせいで成立しないトリックやオリジナルのダメな部分をリメイクした方が良いっていうボクの了見とはハナから違ったようみたい。そりゃあしっくりこないわあ。

でも、緒方明監督の「のんちゃんのり弁」は「マンガの実写化」に成功している良い映画だったよ!


【おまけ】
「41時間閉じ込められた男」

「お立ち台のエレベーター」